本記事は【歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO】をシーズン毎にまとめ、紹介している記事になります。
この記事を読んで得られるメリットは、下記の通り
✔だれにオススメの記事か?
- 普段podcastなどの音声メディアでながら聞きしており、理解したくて何度もリピート再生した経験のある方
- シーズンが進むにつれて出来事が繋がってきたので、簡単に振り返りたい方
- これからコテンラジオデビューするか迷っているのでまずは試したい方
上記のような悩みを解決できます。
✔歴史を学ぶ意義
結論は【歴史の学びを通して人生を豊かにできる】
具体的には、下記の通り
「私たち現代人の抱える悩み」
「世の中の流れ」
上記を読み解いていく1つのきっかけになるはず。
歴史を学ぶ意義(理由)やそこから何を得られるのか、記事にまとめました。上記で示したことをより詳細に知りたい方は合わせてどうぞ
僕たちが歴史を学ぶ本当の意味と得られること
✔歴史が苦手でも問題無しです
歴史を知り学ぶ”意義”は上記の通り。
とはいえ、歴史が苦手だったり難しいイメージを持っている方もいるはず。
事実、過去の僕も歴史を学ぶ意味や意義を見いだせず。試験の為だけのいわゆる一時的な暗記科目として学んでいました。
✔コテンラジオを紹介する理由
歴史が好きで興味がある人はもちろんですが、
歴史が苦手な人にこそ、おすすめしたいと思っています。
おすすめ理由は、下記の通り3つ
- 歴史の学びを通して人生を豊かにできる
- 歴史弱者でも分かり安く、時代背景から順に理解できるので予備知識を必要としない
- 体系的にわかりやすくまとまっている
上記の通り、ぜひ歴史弱者を自称する人にこそおすすめできるし、視聴して貰いたいと思っています。
もし、視聴して耳だけでは理解が難しかった人は、本記事でテキスト形式にまとめているので理解の補助に活用すれば問題無しです。
【今回紹介しているのはこちら】本編YouTubeで公開しています。
動画で確認したい方はこちらをどうぞ
右上の方がリストになっているのでエピソード#毎の再生も可能です。
シーズン毎にテキストでまとめているので気になる方はコチラをどうぞ
♦シーズン1 吉田松陰♦
♦シーズン2 スパルタ♦
♦シーズン3 コミュニケーション史♦
♦シーズン4 天皇♦
♦シーズン5 キングダムSP 秦の始皇帝♦
♦シーズン6 諸葛孔明♦
♦シーズン7 世界三大宗教♦
♦シーズン8 ヒトラー♦
♦シーズン9 フランス革命♦
♦シーズン10 ガンディー♦
♦シーズン11 アレクサンドロス大王♦
♦シーズン12 お金♦
♦シーズン13 三蔵法師・玄奘♦
参考文献やおすすめ書籍の紹介記事があります。気になる方は以下からどうぞ
♦コテンラジオ参考文献、おすすめ書籍の紹介♦
おすすめの映画作品の紹介記事があります。気になる方は以下からどうぞ
♦【コテンラジオ好きへ】おすすめの映画を紹介♦
今回のテーマは、幕末の風雲児「高杉晋作」です。
高杉晋作の人生は約27年と短く。生涯の内、前半80%は空回り。とても世界史を動かす人間には見えません。
しかし最期、その生涯が歴史に名を残した爪痕は大きく。その名を残すこととなります。
もし、彼がいなければ明治維新は違った形で展開されていたのかもしれません。
高杉晋作は破天荒な奇才であると同時に、苦悩する繊細な人だったことはあまり知られていない。
時代の激動に対してエネルギーを爆発させる一方で、様々な事に悩み、苦しみ、葛藤し続ける人間味溢れる姿は、アツく僕たちに勇気をくれるのではないでしょうか。
高杉晋作の生き方もそうですが、彼に多大な影響を与えた師となる吉田松陰(シーズン1)との関係や相互作用が醸し出すドラマにも注目です。
1. #88 吉田松陰のDNAを受け継ぎし幕末の風雲児(約19分)
2. #89 封権社会をぶっ壊す!明治維新序章(約33分)
3. #90 リベンジ・オブ・関ヶ原の戦い-誇り高き超エリート長州人の誕生(約21分)
4. #91 高杉晋作-人生で大切なことは実践で学べ!陽明学に翻弄された男達(約22分)
5. #92 獄中から贈る言葉-吉田松陰との涙の決別(約27分)
6. #93 留学費用で夜遊び三昧!?高杉晋作が上海で見た衝撃的な光景とは?(約23分)
7. #94 「諸君、狂いたまえ」高杉晋作の過激過ぎる尊皇攘夷論(約14分)
8. #95 一夜にして長州転落!そして奇兵隊爆誕(約23分)
9. #96 長州オワタ\(^o^)/そして、その時歴史が動いた(約23分)
10. #97 おもしろきことなき世をおもしろく-高杉晋作の最期(約24分)
11. 最期に
12. 参考文献
#88 吉田松陰のDNAを受け継ぎし幕末の風雲児(約19分)
- 手紙や日記がたくさん残っている為、本人の言葉が読める系偉人(人間味溢れる苦悩を感じる事ができる)
- 高杉晋作の人生を知る事で、師である吉田松陰が何を遺したのかを知ることが出来る
- 高杉晋作は破天荒で、おしゃれな詩歌を詠むアーティスティックなサムライ(繊細さと歌劇さを持ち合わせている)
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まずは概要についてのエピソード#になります。
「高杉晋作」をテーマにした理由
まずはじめに、「高杉晋作」をテーマにした理由は下記の通り3つ
- そろそろ日本人をやりたい
- 1番最初の「吉田松陰」をもう少し詳しくやりたいという思い
- 「幕末」という時代自体が人気
✔松陰が種を蒔き、晋作という花が咲く
吉田松陰の人生は高杉晋作の人生をみることで完結する。
例えば、イエス(シーズン7)の人生について理解しようとした時、イエスが亡くなった時点で終わってしまうとよく分からなくなってしまうわけです。
つまり、高杉晋作の話をしているにも関わらず、吉田松陰がどいった人物だったのかがよく分かる。
松陰が種を蒔いたとするならば、そこからどんな花が咲いたかをみることができるのが高杉晋作。
上記の通り、今回のお話は晋作を見つつ松陰も理解できる。
1度で2度おいしい内容となっています。(※初見の人はシーズン1から見るのがおすすめ、2分程度で読めます)
高杉晋作とはどんな人物だったのか
高杉晋作とはどんな人物なのか。
簡単にまとめると下記の通り
- エリート中のエリート(異本的には幕末の志士にエリート出身は少ない。彼は長州藩のエリート)
- 手紙や日記がたくさん残っているので、本人の言葉を読める系の偉人。(もがき、苦悩する人生を感じ取れる)
- 破天荒でありながら、アーティスティック所もあり繊細。(重要な場面でオシャレな歌を唄う)
以下、もう少し具体的に見ていきましょう。
✔感動ポイントは「苦悩と昇華」
高杉晋作は27歳と若くして亡くなるが大器晩成でした。
つまり、ガンディー(シーズン10)のように、最初から偉人だったわけでは無い。
彼が歴史に名を残したのはラスト数年の活動であり、それまではずっと空回りしている。
彼には悩み苦悩している時期があり「自分の人生の方向を、どこに向けばいいんだろう」と生涯ずーっと悩み続けている。
例えば下記の通り
高杉晋作はエリート中のエリートだったが、幕末の志士たちというのは下級武士や農民だったりするわけです。
そして、晋作には自分がエリートであるが故に誰にも理解されていない苦悩がある。
その苦悩の中で、彼が自分をどう燃焼し昇華してくのか。
(※そこに、師である吉田松陰が絡まってくるわけです。)
✔センス抜群のオシャレな詩歌「おもしろきことなき世を面白く…」
晋作は400首ほどの非常にたくさんの漢詩を書いており、中国人でありパーソナリティの楊睿之さんから見ても綺麗なセンスの良い漢詩が書かれている。
例えば下記の通り
「おもしろきことも無き世をおもしろく」「すみなすものは心なりけり」
(意味)「面白くもないような世の中を、面白いと思うのは、自分の心次第だよ」
ちなみに、晋作が詠んだのは上の句だけであり、下の句はおばあちゃん(野村望東尼、尼さん)が詠んでいる。
上記について、晋作は最期が結核により亡くなる数ヶ月前にネガティブな気持ちで詠んだのかもしれない。
つまり、晋作は最期の最期で彼が1番活躍している時に結核になっており戦線離脱してしまう。
この時の心境が「クソつまんねぇ」と自暴自棄になっていたのではないだろうか。
そしてそれを慰める意味で若い晋作に対して、60歳の野村望東尼は「それは心次第だよ」と言ったのではないだろうか。
(※辞世の句と言われているが、数ヶ月前という説が濃厚)
実際のところでは死ぬ直前だったのかもしれない。分からないが、少なくとも下の句は晋作本人が詠んでいない。
世界史、日本史上における影響
高杉晋作の人生を見て行く中で、「彼の過激さと繊細さ・吉田松陰の影響」これらが世界史、日本史に影響を与えて行く。
つまり、日本が明治維新を成し遂げるということは世界史上とても大きい出来事だったわけです。
色々諸説あるが、「あそこでどういう風に幕府が倒されたか、倒されていないか」
上記は世界の中ですごく大きな出来事であり、晋作はそこに直接影響して居る人物でだった。
もし、彼が居なければおそらく明治維新は違う形になっていた可能性があるほどに重要な人物となる人。
#89 封権社会をぶっ壊す!明治維新序章(約33分)
- 幕末の時代は封牽制が崩壊する時期だった。腐敗し柔軟性の欠如していた江戸幕府の権力は衰弱し、各藩に言うことを聞かせられない状態。
- フランス革命に近い部分が有りながらも全くの別モノの特徴的な革命「明治維新」は、実は今の日本にもつながっていてずっと影響を与えている。
- 当時の老中の阿部正弘など、江戸幕府はすごく優秀な人たちが集まる組織であり、ペリーの来航を事前に把握していた。
- 江戸幕府はペリー来航を乗り切るため、藩や朝廷を巻き込んだ協力体制を構築しようとしたが、結果は藩の政治関与への扉を開くこととなり幕府の崩壊が始る。
- ペリー(アメリカ)が日本に来た理由は「捕鯨・植民地・港の確保など」複合的な原因であり、来るべくして来ている。
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高杉晋作が活躍する「幕末」の時代背景についてのエピソード#になります。
封建制の崩壊
この時期はフランス革命の数十年後。
黒船が来る前の段階として、幕府の権力が落ちてきていた。
つまり、世界的に封建制がどんどん崩壊する時期だったわけです。(シーズン9・12参照)
振り返りかつ具体的には下記の通り
✔封建制の崩壊理由。なんで?
- 農業生産力が上がった結果、その余剰分を生かした人たちが勃興。
- 彼らが新しく富みを生み出してその富みをどうするかで揉めて、資本主義が起きてくる。
- 資本主義によって、ブルジョワジー(お金持ち)と呼ばれる第三勢力が育ってきた。
封建制が崩壊する理由と過程について、
簡単に振り返ると上記の通り。(シーズン9・12参照)
そして、これと全く同じことが江戸時代末期の日本でも起ったわけです。
具体的には下記の通り。
- ブルジョワジーが出て来たことで富みの集積の仕方が変ってくる。
- これまでは封建的な自給自足的自然経済をしていたが、そこに商品経済が浸透してきたことで新しい富みが生まれて来た。
- この生まれてきた新しい富を誰が吸収するのかが課題。
- 全部商人に吸収させてしまうと封建制は崩壊する。しかし、封建制が全部吸収すると逆に商人がキレる。
上記の流れの中で、基本的には商人がキレたわけでは無いが裕福な人たちが実力があるのに吸収されてしまうという所に対してキレていくという構図により崩壊が始っていくわけです。
厳密にはこのロジックから少しステップを踏む話ではあるが、
上記のの通り崩壊が始ったのが江戸時代末期で大塩平八郎の乱などである。
✔天保の改革
大塩平八郎の乱などが起っていて、幕府は「天保の改革」というモノをする。
今までのシステムでは治めきれなくなったので改革しないといけないよね。⇒「天保の改革」するぞ。
天保とは、1830~1843年頃の時期で幕末直前。
上記の通り、「天保の改革」を老中水野忠邦(教科書にも載っている人物)がやろうとします。
【結論】天保の改革は思いっきり失敗します。
失敗した理由は下記の通り
- 300年近く続いていた幕府は腐敗していた。
- 柔軟性が欠如していた。
- ブルジョワが発達していたが、その人達がそれぞれ薩摩藩や長州藩などと直接繋がり始めており、幕府が治められる環境に無かった。
上記の通り、幕府が改革しようとしてもガバナンスが効かない(つまり、言うことを効かせられない状況)が出来上がっていたため、この改革は失敗する。
幕府主導で世の中を変えようとというのが1回失敗した一方で、各藩がそれぞれ改革する、
要は、藩ごとに同じような悩みを抱えていたのを「小さく改革していこう」という動きが出てくるわけです。
【結果】「雄藩」と言われる最期に幕末に勃興してくるような人たちが、その改革に成功。
具体的には、下記の通り
「薩摩」(雄藩中の雄藩)⇒そのあと「土佐」「長州」などの人たちが出てくる。
明治維新とフランス革命
明治維新は特徴的で面白い。フランス革命に近いが全くの別モノである。
まずは以下、簡単に表にまとめたので確認しておきましょう。
【明治維新】 | 【フランス革命】 | |
構図(動き) | 「王権を新しく、さらに強固な王権を作り直そう」という動き。 「尊王」つまり、「天皇を用意していて、天皇陛下の方が将軍より偉いんだぞという話」をして、そこの権力構造に全てを組み替えると言うやり方なわけです。 | 「民衆が民衆の力によって王権を倒していく」という構図 |
主体者 | 明治維新を起している主体者は「武士」と「ごく一部の雄藩」(実力を持っている藩)。 民衆(下級武士や農民)では無い。ごく一部の武士たちが周旋してほうぼう回りまくり、彼らが新しい封建社会を築いたのが明治維新。 | 民衆 |
ベクトル | イデオロギーベースではない。幕府を打倒しているだけであり、単なる権力闘争。 とはいえある意味では尊王攘夷というイデオロギーとも言える。 | 民衆が徹底的に王権を打倒、殲滅するという方向性で動いている。 |
結論 | 生存権の確立などを全く無しにして、封建制度をある意味で保った状態のままで近代化にどうやって進めるかという革命 | 生存権とかいう考え方を確立していった革命。 |
明治維新という革命はある意味で成功し、今の日本にもずっと影響を与えている。
つまり、そのまま封建制は崩壊することなく、僕たちは今の日本の封建制の中で生活しているわけです。
封建的な日本について、具体的には下記の通り
- お上の言うことが絶対というヒエラルキー構造の風潮
- ポジションをとても大切にするヒエラルキー構造の中で利権にまみれた。
国民性もあるだろうが、社会的な構造が1人1人の考え方に影響を及ぼしている。
要は、西洋がいわゆる民主主義的な革命を起したのに対して、明治維新がそういうタイプの革命では無かったというのはとても大きい。
そして僕も含め、その社会構造が当り前の状況(社会)で生活してきた者がそれに気付くことはまず無い。
つまり、「フランス革命」「明治維新」これら2つと勉強しないと分からない。そしてこれを見て学習し理解できた人はそれが分ったのではないでしょうか。
※ここで勘違いしないで頂きたいのが「権力構造が特殊だった日本の特徴を理解しよう」というお話であり、「それが良いか、悪いか」では無いということ。
ペリー来航と幕府崩壊の始まり
ここでは、幕府の崩壊が始る所までみていきたい。
封建制のシステムの敗北が幕府崩壊の始まりと加速を促しており、実は幕府の判断は妥当だったのではないかと理解できるようなお話になります。
✔幕府は優秀な組織でした
ペリーがやってくる「黒船襲来」これについて、幕府は知らなかったと言われているが、実は幕府は優秀で既に察知していた。
特に、当時の老中の阿部 正弘はとても優秀。
具体的には下記の通り
- 25際で老中(大臣・閣僚)
- 35際で筆頭老中(内閣総理大臣)
- オランダから事前に情報を仕入れていて、1~2年以内くらいにはアメリカ艦隊が日本に来ると知っていた。
上記の通り、阿部 正弘は超優秀。でこうした人材が幕府には集まっており優秀な組織だったわけです。
とはいえ、知ってて対策していない点では優秀といえるかどうか微妙な所もある。
たしかに来たらやべぇと思う。
でも来ないかなぁ、来なかったらいいなぁ。⇒来ちゃったよ。やばいやばい。ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿アワワ
情報収集は天下一品。江戸幕府は僕たちが思う以上に優秀な人材が集まっている組織だったが、上手く実力を発揮できていない。
- 実際に対応するとなると皆の気が乗らない。腰が重い日本人的な謎現象。
- 既に述べたように各藩に対して幕府のガバナンスが弱くなっていたので言うことを聞かせられない状態。
- 例えば幕府が「海の防衛をしっかりしろ」と各藩に言っても「別にいいじゃねぇの」
上記の通り、幕藩体制の下では全国を全く統一できておらず、ばらばらになりかけていた。ということも要因としてあった。
✔幕府の崩壊が始る
上記の状況で阿部 正弘が考え出した答えは優秀だったのではないだろうか。
Qこのピンチ、どうやって乗り切ろう?
A朝廷・全ての藩・色々な人から意見を聞こう。
つまり、公家や天皇も巻き込んで全員の力でこれを乗り切ろうとするわけです。
それまでは、こんなことは有り得なかった。
- ”封建制の中でいかに権利を独占するか”というのが封建制の基本スタンスだから。
- 実際に独占する実力もあり、それまで幕府もそれをやってきていた。
上記の行動をとるほどに、幕府は危機感をを抱き認識している。
・アヘン戦争を知っている。
・中国がどれだけやばい状況になっているのか、それが自分達にとってどれだけ怖いことかを理解している。
・麻薬漬けにされ、金を吸い取られ続ける隣の大国を知っている。
上記の通り、幕府は凄く詳しく知っていて、そのようになってはいけないと危機感を持っている。
そして、それがまさか来ないと勝手に期待したけれど来てしまった。
この相当やばい状態で、「これをどうするか、色々な人に意見を聞こう」と決断するわけです。
そして実際に朝廷や雄藩を集め意見を聞くわけですが、実はここから幕府の崩壊が始ってしまう。
✔国は違えど「三部会」
一見よさそうに思える幕府の対応だったが、これにより幕府の崩壊が始ってしまうこととなる。
どういうことかというと、「三部会」(※シーズン9フランス革命#50参照)と同じことが起るわけです。
「三部会」について簡単に振り返ると下記の通り
民衆を集めて話を聞く。3つの身分を集めて意見を聞いたら、彼らが政治に参与する意識を持ってしまったがためにどんどん加速していった。というお話。
それまでは彼らが中央政治に口を出すようなことはおこがましかった。
上記の通り、彼ら政治参与が当り前になってしまい、それが加速していくことで幕府の崩壊が始ってしまった。
しかしこれは、封建制システムの敗北であり阿部 正弘らは妥当な判断を下しており優秀だったと思う。
つまり封建制というシステムでは外敵なイレギュラーな案件に対して対応できなかったわけです。
- それまで昔のモノを守っていくスタンス。
- あとは独占して権利を限定するというスタンス
上記のスタンスしか成り立たない前提を持った封建制の最大能力を超えた事案が発生した。
そしてこれを乗り越えるために「システムの変更が余儀なくされた」のが明治維新。
封建システムの限界と、ここまでのまとめ
全体像を簡単にまとめると、下記の通り
⇒➁そして国のガバナンスを利かせていく立場に上っていくのは誰だという話になり
⇒➂最終的に幕府は競り負けて長州と薩摩が明治政府を作った。
✔幕府の判断は妥当だった
何度も述べるように「封建制システムの限界」であり、幕府の判断は妥当だった。
彼らはどうすれば良いか分からないから色々な人の意見を聞き集約させて合意形成を取ろうとした。
【結果】全く合意形成が取れなかった。というところが出発点となる。
ではなぜ、取れなかったのか。理由は2つ。
➁そもそも権力自体が落ちてきていた
上記の通り、封建制システムの限界だったわけです。
以下では、要因の1つとなる「情報認識の違い」について簡単にまとめたので確認しておきましょう。
【事実】幕府はペリーと不平等な和親条約を結びます。
しかし、この時の幕府はすごく妥当な判断をしている。
どういうことかというと、幕府はちゃんと情報を収集しているのでアメリカや西洋に絶対に勝てないことを知っているわけです。
【幕府】 | 【攘夷論】 | |
情報認識の差 | 一般に開示していないだけで自分たちだけは情報を知っており、実力差をファクト認識している状態 財政が枯渇している。(ブルジョワジーの勃興と関係しており、フランス政府のパターンと類似) 力が弱まっており、財政も枯渇している状態で戦争するわけにはいかない。なんとしても戦争は避けたい。 アメリカがすごく強硬姿勢で和親条約を求めてくる。 | 一言でいうならば、攘夷論とは「外国人を全員ぶっ倒す」ということを言っている人たち 理由はファクト認識出来ていないから。つまり実力差を理解していない。知らないから勝てると思っている。 鎖国しており海外の情報を入れていないので知らないのは当然 |
上記の取り、それぞれの認識と状況の中で既に述べたように幕府はどうすれば良いか分からないから色々な人の意見を聞き集約させて合意形成を取ろうとした。
【結果】全く合意形成が取れなかった。というところが出発点となる。
だから、この結果は「封建制システムの限界」であり、「幕府の判断は妥当だった」と言えるわけです。
決して当時を生きる人たち全員がバカだったというわけではない。
藩の世論と下級武士たちの動き
ここで解説する構図を頭の片隅に入れた状態で後のエピソード#を見れば、揺れ動く世論の中で変化する高杉晋作(藩士たち)の動きに注目して見られるので理解しやすくなるはずです。
✔藩の方針(藩論)
既に述べてきたように、政治に参与する意識を持ってしまったがために幕府の崩壊が加速していったわけです。
上記の流れの中で各藩が力を持ち思想や意見など独自性が出てくる。
しかし、その独自に意見を持っている人たちというのは基本的にはまだ「ごく少数の知識人たち」だった。(※長井雅楽など)
- 長井雅楽の様なすごく勉強している儒学者のような人たちが「じゃあ、この国はどうすべきか」大戦略を作る。
- これを藩が踏襲する(その案を採用します)
上記の様に藩論(藩の方針)を決めていくわけです。
そして、この藩論(藩の方針)の次の担い手として出てくるのが”下級武士たち”
つまり、構図としては下記の通り
幕府が対応出来ていない状態。
この時に封建社会の中で虐げられている人たちが幕府に協力せず反対的な活動をしてしまう。
具体的には、下記の通り
- 【幕府を助ける勢力】
- 【幕府に反対的活動をする勢力】
幕府の中で美味しい甘い蜜を吸っている人たちは犬になっておいた方が得なので、当然ですが幕府を助ける動きをする。
封建社会の中で虐げられている人たち。
つまり(甘い蜜を吸え無い人たち)下級武士や幕末の雄藩。
この人達は関ヶ原の戦いで負けた人たち(※要は徳川家康に排斥された人たち)
上記の通り、いわゆる外様大名と呼ばれる(関ヶ原の戦いで負け徳川家康に貶斥された優遇れてない人たち)
具体的には長州藩や薩摩。
この人達が江戸時代から250年ほどずっと幕府が嫌いで恨みを貯め続けていたものがこの時に爆発するという「関ヶ原以来の構図」があった。
✔残り続けた徳川嫌いの意識
日本にはたくさんの●●家があるが、幕府と言えば徳川家。
関ヶ原で勝ち組になった徳川家が一応みんなのまとめ役のようになっているが、負けた側からすると徳川嫌いの思想がある。
おれたちは負けて領地なども削られたり、そりゃ確かに今はお前(徳川家)が上に立っているけど、おれたちもちゃんとお金を貯めてどんどん力を付けてきているぞ。
上記の通り「徳川嫌いの思想」があったが、それは300年も前の過去のこと。
当時の人間は全員が亡くなっているにも関わらずその意識だけが残っていたというのは歴史的に少し考えさせられます。
✔フランス革命との明確な違い
ここまで述べてきたような中で、自由の無い封建制の中で出世出来ない下級武士たちのエネルギーが爆発するという構図。
フランス革命との明確な違いは、彼ら(下級武士たち)が誰に力を借りるかというと、封建社会の上位の人たちの力を借りるわけです。
例えば下記の通り
- 坂本龍馬は資金調達する時には色々な大名からお金を集めている。
- 高杉晋作も毛利の殿様から色々な援助を受けながら動いている
上記の通り、権力を取るために権力を飲み込んでいく感覚があり明確に違う。
✔揺れる藩論と藩士の動き
藩論(藩の世論)が藩の中でも揺れ動く
- 尊王攘夷に傾く時期
- 鎖国派と言い江戸幕府を助ける時期
- 江戸幕府をそのまま生かして開国んど変革を遂げいく
上記のように、藩の中でも世論が揺れ動く。
その中で高杉晋作や色々な藩士の動き方が変ってきたりするので注目して見ると理解が深まります。
ここまでの構図の中で下級武士達が頑張って、結局権力のある人の力を借りながら古い権力を同じく古い権力の少し下の人たちが倒して行く。
さらに1番古い権力を持ってくるというのが明治維新であり、最期の1番古い権力が天皇だったというお話。
ペリーの来航について
ここまでは日本側の話でした。
ここでは、ペリーについて理解しておきたいと思う。
✔ペリーって誰?
早速ですが、ペリーについて勉強して理解している人は少ないのではないだろうか。
事実、僕も彼がアメリカ人でだということくらいしか認識がありませんでした。
ということで、まずは「ペリーとは何ぞや?」という人物像について簡単にまとめると下記の通り
- 名前は「マシューペリー」、アメリカ人
- 日本に来た時の彼の年齢は60歳。
- 「日本を開国させた」というの彼のキャリアの中では最期の仕事だった
- 立場としては「軍人」。十何歳から海軍1筋でキャリアを積んでおり、アメリカでは偉人として尊敬されている。
- アメリカの海軍に蒸気船を導入した偉人として記憶されている様子。
✔ペリーはなぜ来た?
では彼がなぜ日本に来たのかについて、マクロな視点とミクロな視点がある。
まずはマクロな視点から順に見ていこうと思う。
【結論】弱肉京職の植民地時代でアメリカは出遅れていた。
具体的には下記のとおり
西洋列強がアジアなどに進出して植民地を持つ、或いは中国などのように租界してのさばったりしている。これらが当り前とされる時代。
海外に植民地を1つぐらいは持っていないとか文明国じゃないよね
上記のようなことが当り前とされる弱肉強食の時代の中でアメリカは出遅れていた。
出遅れている理由は、「建国してから60~70年(まだ100年経っていない)かったから」です。
そのため、日本に来た時のアメリカには下記の通り、国としての大きな課題(目標)があったわけです。
早く海外に行かなくちゃ。
そして植民地なり租界なりを作って色々な国と貿易しておかないと、もうこの西洋列強では競り負けてしまうぞ。
上記の流れでアジア進出に向けて動くわけですが、ここでさらに大きな問題があったわけです。
✔船の補給どうする
アメリカがアジアに進出するには当然ですが”船”が必要です。
そして船にとって1番大切なのが”補給”
つまり、燃料や食料といった物資をいろいろな港に寄港しないと長い航海ができないわけです。
そして当時のアジアでの港のほとんどはイギリスのものだった。
「これの何が問題なの?」と思った方もいるだろう。答えは下記の通り。
- アメリカはイギリスから独立して生まれた国です。
- 敵とまではいかないにしても、元の宗主国に対するライバル意識がある。
- 現状イギリスの港を借りて寄ったりしているが「いつこの物資を止められるか分からない」というリスクが常にある。
【結論】アジアに港をつくりたいと考えて、その中で日本が選ばれた。
つまり完全に占領して拠点にしようと思ってきているわけです。
✔鎖国をこじ開けろペリー
日本は鎖国(貿易制限政策)を取っているので基本的に中国・オランダとしか貿易してはいけない。
「この鎖国をこじ開けて日本と戦略的にアメリカ有利の条約を結ぶにはどうするか」という役割をになったのがペリーだった。
鎖国をこじ開けて日本と条約を結んでこいよ
了解。
日本人は賢くてプライドが高い民族だなぁ。どうすれば説得できるだろうか。
ていうか、日本の権力の二重構造ムズくね?
【余談】
ペリーは戦略的に日本を説得するために、かなり勉強していた。
- 出版されている本を全て読んでいる。
- 権威を天皇が担い、権力を江戸幕府が担っているという複雑な権力の2柔構造を理解していた。
✔なぜ日本が選ばれたの?
アメリカがアジアのどの国と最初に手を結び濃い関係を築くか考えた中でなぜ日本になったのか。
吏由は下記の通り
- アジアを見下しており、日本はそれなりに優秀で文明国とまでは言わないが野蛮な民族ではないと判断している
- 産業構造の基本を支えるエネルギー源(鯨の脂)を確保するため
実はペリーは日本に1番最初に来た人ではなかった。
要は幕末にかけて周辺の色々な国から既に船が接触してきていたわけです。
例えば下記の通り
- 遭難した外国人
- ペリー同様に他国からも「ちょっとうちと貿易しようぜ」
ある時ペリー以前にアメリカの戦艦が遭難しており、江戸幕府はそれを受け入れ助けていた。
そしてその時の対応から「日本人は賢い」と思われた。
- 広い牢屋と布団をあてがわれ
- 毎日の飯も欠かさないようにしてくれた
この国(日本)は文明国とまでは言わないが、野蛮ではない。ちゃんとした民族で話の分かるやつらのようだ。
上記の通り、当時のアメリカはアジアをバカにして見下しているが、その中でも日本は優秀な方だと思ったらしい。というのが日本が選ばれた理由の1つとしてある。
そしてもう1つの理由「エネルギー源の確保」というのがある。
具体敵には下記の通り
✔「産業革命」西洋列強が海外進出する理由
当時アメリカ(西洋列強)が海外に進出していく理由の1つに「産業革命」があった。
産業が勃興してきた中で1番大切なのが石炭などのエネルギー
そして当時は石油が発見される前に照明用の(ライト)など1番のメインとなる燃料は「鯨油(鯨の油)」でした。
- 「鯨油(鯨の油)」は産業構造の基本を支えるエネルギー源だった
- 工場を24時間稼働させるためには、夜の照明(ライト)の需要が大きい
【結果】列強の中で海外に出て行く船にはたくさんの捕鯨船が出て来ていた。
日本の周りでもアメリカの捕鯨船だけでも年間300隻ほど来ており鯨を乱獲しまくっていた。
- 捕鯨の機会が多く、遭難するリスクがある。その遭難民の収容や対応をお願いしたい。
- 捕鯨船のための補給地として港を開いて欲しい。
上記のニーズの通り
単に貿易のためにアジアに進出してきたわけではなく、「エネルギー源の確保」「捕鯨船の保護」という大きな原因もあった。
✔総括(振り返り)
アメリカがアジアに進出し日本に来た理由は複合的な原因があり来るべくして来ていた。
具体的には下記の通り
- アメリカは既に出遅れており、植民地獲得に向けて焦りがあった
- アジア進出に向けた補給地が欲しい
- 捕鯨のための港を開きたい
当時のイギリスは中国やインドの植民地でかなり苦労しており、それ以上新しい植民地をどんどん増やすような勢は無い。
日本にも積極的に戦争を仕掛ける事も無く、「むしろ、もうやりたくない」という感覚があった。
つまり攻め込むというより、「パートナーシップを結びたい」という感じ。
歴史の解釈は人それぞれである。
イギリスなどのように攻めてきているわけではないにも関わらず、攘夷の人たちは過剰に反応し過ぎだ
例えば上記のような意見が書かれている本などもある。
とはいえ、決して対等とは言えない失礼な態度に対してちゃんと反抗の意思を示したことは外交戦略としても、その後の発展に影響している。
もしビビって言いなりになっていたら全く違うことになっていただろう。
とはいえ、結果としてはそれがブランディングにはなったというわけです。
ペリーは手紙の中で「日本を開国させるにはもう脅ししかない」と言っている。
彼らはもっと簡単に脅せると思っていたが、思ったよりも反撃してくる日本の姿勢に対して「好きに出来るという舐めた感覚」は無くなっていった。
✔実は頑張っていた江戸幕府
当時のある列強が他の国と取り結ぶ関係というのは、下記の通り3つしか無い。
- 列強同士の関係
- 不平等条約関係
- 植民地関係
この中で植民地にされていないというのは凄いことだった。
僕も含めて、学校の教科書で出て来ても「そうなんだ。ふーん」と聞き流していたことが、紐解いていくとどういうことだったのかがよく分かる。
つまり、当時を生きた人たち全員がバカだったのではなくて、当時の人たちは本気で考えて行動している。
そして結果としてこういう事になったんだよというお話。
#90 リベンジ・オブ・関ヶ原の戦い-誇り高き超エリート長州人の誕生(約21分)
- 高杉家は先祖代々300年も毛利家に仕えて活躍してきたエリート一族だった
- 関ヶ原の戦いで徳川家に負けた毛利家は、本拠地を僻地の萩へ移され収入も激減した
- 上記の経験を糧にその後は長州藩として「人材育成」に力を入れる。と同時に恨みが絶えることもなく倒幕思想のバックグラウンドの1つとなる
- 長州藩は一般会計とは別で、新規事業投資用に限定した裏金を作っていた。これが後の政治運動や軍備増強の為の貴重な運転資金となる。
- 高杉晋作は生涯を通じて尊敬する父から多大な影響を受けており、父を尊敬しつつも自分の考えとの違いに葛藤し軋轢に悩む青年期
- 晋作は16歳という最も多感な時期に、黒船来航という江戸の前代未聞の大騒動を体感し、19歳で吉田松陰と出会い一気に視野が広がっていく
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ここからは、高杉晋作の人生についてのエピソード#になります。
幼少期から順に深掘っていきます。
最初の見出しでは晋作自身というよりは、彼の出自や長州藩についてなどバックグラウンドに関する話になります。
長州藩の誇り高きエリート
✔先祖代々、毛利家に仕えるエリート一家に生まれた高杉晋作
高杉晋作は生まれの良いエリートです。
具体的には下記の通り。
- 300年以上、毛利家に仕えていた家の出
- 高杉家は先祖代々、毛利家に仕えて活躍した人たちが親戚にたくさんいる
- 父も位の高いところで活躍しているところで毛利家に仕えている。
上記通り。高杉家は先祖代々、毛利家の家臣として活躍していた家の出。
下記ではまず、その毛利家について解説します。
✔毛利家について
【結論】関ヶ原の戦いで負けます。
主な出来事(全体の流れ)を簡単にまとめると下記の通り
- 一代にして中国地方一帯の覇者になる
- 五大老(トップ5)になる。
- 関ヶ原の戦い(徳川家康VS毛利輝元)で負ける
- 萩に追いやられ、それが長州藩の本拠地となる。
✔中国地方一帯の覇者となる
まずはじめに”毛利元就”という戦国武将がいた。
「毛利元就って誰?」と思った方は「三本の矢」の人。と聞けばわかるだろうか。
矢を1本づつ計3本を与え折らせると簡単に折れる。
しかし、3本束にすれば折れないだろう。「兄弟3人で力を合わせるように…」
上記の通り、3本の矢の人(戦国武将:毛利元就)という人が中国地方の一部を治めていた。
そんな毛利元就はライバル「大内氏」を倒して、一代にして中国地方一帯の覇者となる。
つまりすごい人です。
✔五大老(トップ5)になる。
次に、毛利元就を「毛利輝元」という人が継ぐ。
豊臣秀吉と対立。
「でもこれ勝てねぇな」→秀吉の傘下に入って「五大老」になる。
五大老とは、四天王の5人バージョンのようなモノ。
つまりトップ5の内の1人に入ったわけです。
- 徳川家康
- 上杉景勝
- 前田利家
- 宇喜田秀家
- 毛利輝元
この時点で毛利輝元はトップ5で120万石を持つ大大名のポジションにいるわけです。
✔関ヶ原の戦いで負ける
五大老の1人徳川家康と対立して関ヶ原の戦いに突入
つまり徳川家康VS毛利輝元
この天下分け目の大合戦で毛利輝元は負けてしまう。
- 10ヵ国を治めていたのが→2か国にまで減らされる
- 石高でいうと120万石から37万石まに激減=収入が1/3になってしまった。
上記の通り、月収が120万から37万まで激減したような状況。
何が大変かというと、それまでは120万石の中で家臣に分け与えることによって成り立っていた封建制ができない。
要は「給料が払えない」けれど大大名だから「家臣がたくさんいる」
Qどうしよう?
Aよしっ、中国地方の広島側に城を作ろう(瀬戸内海側の交通の便が発達した所に城を作ろう)
「ダメだよ。そんな良い所に城を作ったらおまえら反逆する気でしょ」
「萩という交通の便が悪い所があるからそこに作りなよ」
上記の通り、いじめられて萩に行き、そこが長州藩の本拠地として移されるわけです。
✔倒幕思想のバックグラウンド
上記で述べたようなことから長州藩(毛利家)は徳川家が大嫌い。
- 収取は1/3に減らされた
- 城は自由に作らせてもらえない
ちなみに、逸話として残るほど毛利家の徳川嫌い(反骨心)は絶やすことなく代々260年間も続いた。
今年はどうしますか?
徳川家をぶっ潰してやりますか。
いやっ、まだ早いな。
どこまで本当かはわからないが、上記のようなやり取りを毎年年始になると繰り返し。
恨みを忘れ絶やさないようにして260年もの間続いたという逸話があるわけです。
✔長州藩は人を大事にする「人材投資」
ここまで述べてきたように120万石から収入の激減によって大変でしたが、
これによって長州藩は人を大事にするようになっていく。
つまり「人材投資」です。
- お金が一気に無くなったが、殿様には人徳があった。
- 離れる人が少なく、お金をもらえないのに働いてくれる人たちがたくさんいた
- この人たちで100万石以上の収入まで戻す。
上記の中で活躍したのが高杉晋作の先祖たちだった。
そして戻す過程で殿様たちは学んだ。
そうか、わかったぞ!
1番大事なのは”人”だったんだ。
結果、長州藩はめちゃくちゃ人材育成に投資するようになった。
✔長州藩の「育み」システム
当時は身分に縛りがあったので「武士は一生武士・下級武士は一生下級武士」というような出世しがたい仕組みになっていた。
しかし、長州藩にでは下級武士の人間やそれ以下の身分の人であっても優秀な子供であれば上級武士の養子にすることができた。
上記のような仕組みを「育み」という。
つまり、人材プールが広かった。
【結果】この育みシステム(能力重視)によって、のちに出てくる周布正之助などは石高の高い家じゃないけれど要職に就いている。
上記の通り、長州藩では本当に能力のある人たちが上にいくという構図を作ることができていた。
つまり、長州藩は危機を何度も人材によって乗り越えてきた藩であるということ。
✔長州藩には「金」があった
「育み」とは別に、長州藩にはもう1つの特徴がある。
【結論】幕末に長州藩が活躍できた理由は彼らがお金を持っていたからです。
なぜ彼らがお金を持っているかといいうと、これも自分たちの収入が減って困った時に考え抜いて失敗から学んだからです。
困った時を乗り越えた時にこそブレイクスルーが生まれているわけです。
具体的には下記の通り。
殿様へ提案があります。「普段使っている家計簿(一般会計)とは別で、もう1つの家計簿をもって下さい。」
そして、その家計簿はどれだけお金に困っても普段は絶対に使わないで下さい。
これは新規事業への投資だけに使うお金です。
上記について少し難しい表現をするならば
- 内部留保をしっかり準備しなさい
- その内部留保の事業用途は新規事業投資用に限り限定する
- つまり普段の運転資金の中で困っても使ってはいけないというお金が実はたくさんある状態。
これにより【新規事業投資】
- 米・塩・蝋・紙などに対する産業に回したり
- 下関港で倉庫業をするなど
結果的に農業生産性は高くなくても実力としては100万石以上の経済基盤を持っている状態を作れている。
そして、このお金が幕末で最後の最後にめちゃくちゃ役に立つ。
つまりこれらを考えて提案した高杉晋作の先祖が思った通りになっていくわけです。
- 幕末にもいろいろな藩で尊王攘夷の雰囲気や思想が起こるけれど、結局のところ多くの藩ではそれを政治力と結合できなかった。
- でも長州は結ぶことができた。なぜなら「お金があったから」。お金があって政治力もあった。
軋轢と葛藤、悩み多き青年期
✔誇り高きエリート「高杉晋作」の誕生
ここまでの見出しで述べてきた通り、長州藩の大臣などを出している家の嫡男として生まれる。
- 毛利家という殿様に仕えている誇り高きエリート中のエリートという感覚。
- 自分は国(長州藩の毛利家)を背負うエリート。
- 「俺たちが国を動かしているんだ」と思っている人たちの家に生まれて、男子が自分しかいない(封建制社会の男児1人)
上記の通り、人生のスタートラインとしては良い所から始まっており、立場的にもかわいがられていたはず。
【性格】
後にたくさんエピソードが出てくるように、「破天荒」小さい頃からそういう性格だったそうです。
✔父の教え「困った」とは言わない!
晋作の父は封建社会の中の保守的タイプの人でした。
そして高杉晋作はそんな父を尊敬しており生涯を通じて多大なる影響を受けている。
男子というものは「困った」ということは決していうもんじゃない。
上記の通り、晋作は父の教えを受け自分がどれだけ困った状況になっても「困った」とは言わないようにしていたらしい。
しかし、晋作は父の教えを守り「困った」とは言わずに、どんなピンチな状況になっても思考停止することは無かった。
普段からみんな「困った、困った」言い過ぎだ。
普段からそんなことを言ってたら打開するためのエネルギーが湧きづらいだろう。
しかし、どれだけ困っていても考え続けたり何かをやり続けたら必ずそれを突破することができる。
だから、絶対に死ぬだめだっていう直前であっても困ったとか言うな。
上記の通り、晋作は父からの教えを忠実に再現している。
例えば、晋作の日記を読むと彼の人生は困っていることがわかる。
しかし、困ったとは書かれていない。(※とはいえ「このクソがっ!」みたいな文句は言っている。)
✔晋作の生涯を通じての特徴
高杉晋作の生涯を通じて特徴として「父の言いつけを守るか守らないか」というところで葛藤がある。
具体的には下記の通り。
しかし、父親が言っていることは自分(晋作)が突入したい松陰たちの世界である攘夷や開国というところとは全然違うことを考えている。
上記の通り、軋轢に悩むというのが彼の青年期であり、その心の葛藤が彼の生涯を通しての特徴として見られる。
✔武芸に励み健やかに育つ晋作
晋作には久坂玄瑞というライバルがいた。
この人とは小さな頃から寺子屋で一緒に学んでいたらしく、その後は一緒に松下村塾に入り二大巨頭のようになっていく。
また、小さい頃の晋作は強くなろうとして武芸にばかり励んでいたそうです。
武士のエリートに生まれ、武士=軍人なので基本的には軍人の本分を果たそうということで弓・槍。剣道といった修行ばかりしていて本人もそれが好きだったらしいです。
そんなこんなで、小さい頃は武芸に励み健やかに育っていく。
【余談】
晋作は途中で天然痘になり顔にあばたが残ったことから「小豆餅」というあだ名を付けられたりしていたそうです。
前代未聞の大騒動…そして松陰との出会い
✔最も多感な16歳
晋作は最もた多感な時期である16歳の時に、父と江戸に行き黒船来航で前代未聞の大騒動となっているリアルな江戸の空気感を体験し感じている。
これは彼の気持ちの持ちようや後の松陰との交流などにも影響しているだろうと想像できる。
- 江戸中が前代未聞の大騒動(まさに宇宙人が来たようなモノ)
- 実際に黒船を見たかはわからないが、見た人の話は聞いているはず。
- てんやわんやになっている中で、幕府がそれらに対応出来ていない。それに文句をいう人の話も聞いただろう。
- どうするんだ?どうなるんだ?
上記の通り、晋作は最も多感な16歳という時期に直接感じている。
この経験が「目線や想像力が外の世界や国に対して接続する」きっかけになったはず。
そしてそれを経験し、歴史に名を残している人物たちが
- 桂小五郎
- 坂本龍馬
- 吉田松陰など
上記の通り、晋作と同じくこの時期の江戸に行っている人たち。
この空気感を感じた人たちが後に爆発していくという構図になるわけです。
✔何かしなくちゃ!でも何を?
この時の晋作は武士としての心得や教育を小さい頃から受けてきたこともあって、上に立つ者としてのあるべき責任感を若いながらにして持っていた。
何かしないと…でも何をすればいいんだ?
よしっ、とりあえず勉強だ。
上記の通り、江戸での経験を経て強い危機感を抱いた高杉晋作は分からないなりに勉強を始めた。
具体的には下記の通り。
- 武士の歴史や心得を説くハウツー本、兵学書を勉強し始める。
- これまでは武道ばかりしていた状態で、基本的には勉強を重視していなかった。
上記の通り、晋作自身も何が適切な勉強かわからないし、アメリカに対抗する自分のポジションがわからない。
強い危機感とエネルギーだけが爆発している状態。
そして晋作は松陰と出会う前に、萩藩が作っている「明倫館」という学校(※今も現存している明倫小学校)当時の西日本1言われた名門の学校に行く。
- 兵学、剣術、柳生新陰流などの稽古危機感を持った状態でやる。
- この時はまだ、「戦って勝つ」という概念から抜け出せておらず、まだただの武人として頑張っている状態。
責任感が相当ある。
毛利家をどうするのか(※日本を背をわなくてはいけない)。このままだと幕府が体たらくでやられて毛利家が割を食う。
「危機感がある。でもだからどうするんだ。」という考え方をしている状態。
※日本(国)を意識しているのは後に松陰と出会ってからかもしれません。
✔19歳。そして松陰との出会い。
江戸の大騒動を経験してから3年後、19歳の時に高杉晋作は吉田松陰と出会う。
ここまで既に述べてきたように晋作はずっと、何を勉強したら良いか分からず武人としての勉強しかしていない。
そこから初めて松陰から何を勉強すればよいかを色々と教わるわけです。
【結果】それが正しいかどうかは別として、一気に視野が広がっていくわけです。
この吉田松陰から晋作はどういうことを学び、影響を与えたのかについてのお話が次のエピソードになります。
吉田松陰について
次のエピソード#91から詳しく、吉田松陰が高杉晋作にどういうメッセージを伝えたのか晋作目線で見ていくわけですが、ここではシーズン1の振り返りもかねて吉田松陰がどんな人物だったのか簡単に触れておきます。(※読み飛ばしても問題無しです)
✔「一緒に学ぼう」松陰は人間の可能性を伸ばす天才
断言する!この田舎から日本を震撼させる人物がでてくるだろう。
シーズン1でも触れている内容だが、上記の通り謎の断言をしつつ、村の子供たちを集めて色々な事を教えるというよりはアクティブラーニング形式で一緒に議論し語り合っている。(※松下村塾)
なぜ断言しているのかは意味不明ですが、彼は人間の可能性を伸ばしていて立派。
【結果】萩の田舎から大臣を5人、総理大臣を2人ほどを出している。
- 長州の立ち位置や歴史的な背景など色々な要因はあったのかもしれないが、とはいえ松陰は大臣レベルをたくさん作っているわけです。
- もしかすると、そもそも人間には1国の大臣レベルまではポテンシャルが既に備わっており、それを引き出すだけなのかもしれませんね。
吉田松陰は下級武士だったけれど別に身分に関わらず人間として見ていた。
先生と生徒の関係で教えるのではなく、1人間として同じ目線に立って「一緒に学ぼうぜ」という姿勢は、とくに若者にはかなり燃える要因としてあったのかもしれない。
#91 高杉晋作-人生で大切なことは実践で学べ!陽明学に翻弄された男達(約22分)
- 「陽明学」は吉田松陰や高杉晋作ら志士の行動を加速させた思想の1つ
- 当時の思想(考え方)を理解できると、ヤバ偉人のぶっ飛んだ行動にも背景が見えるので理解(解釈)の助けになる
- 高杉晋作が吉田松陰と出会うのは19歳。視座が高すぎる松陰との交流(アクティブラーニング)があったからこそ晋作は開花し世界史、日本史に影響を与える重要人物になっていった。
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高杉晋作が吉田松陰と出会った頃についてのエピソード#。
吉田松陰が高杉晋作にどれだけの影響を及ぼしたのかが理解できます。
まずは彼らの思考について前提知識として「陽明学」という思想についても解説、触れておきましょう。
儒教の朱子学と陽明学
儒教の朱子学と陽明学
まずは、吉田松陰・高杉晋作たちにすごく影響を与えた当時の思想「陽明学」について理解しておきましょう
✔当時の思想
陽明学とは、当時の学問思想(考え方で)儒教の1つ
儒教は大きく分けて「朱子学」と「陽明学」の2つに分けられる。
以下、簡単に表にまとめたので確認しておきましょう。
儒教 | ||
朱子学 | 陽明学 | |
考え方 |
|
|
上記の表を見れば、なぜ吉田松陰が黒船に突っ込んだのかがよくわかる(シーズン1参照)
また高杉晋作も色々な事に突っ込むのかといえば、上記の通り「陽明学」がベースとしてあるわけです。
つまり、わかってやっていたというよりは、「もうやるっ」という時点で分かりにいっていたわけです。
✔儒教とは
儒教の目的は、自己を磨きコントロールすること。
例えば男子トイレの小便器に大便がしてある状態を目撃してしまった時、怒りや悲しみや笑いなど様々な感情が湧くはず。
- 上記のように激しい感情が湧くことについて否定していない。
- 大事なのはその感情をどうやってアウトプットしていくのかが大事。
- つまり感情が湧いた時にそのまま感情の赴くままに暴れたりするのはダメNG
上記の通り、「ちゃんと儒教の教え(規範)に沿った中で感情をアウトプットしなさい。」これが、礼や義といったものとして表象されるわけです。
上記のような事実に出会うまでは、ちゃんと勉強しなさい。古典や偉人の言葉をしっかり勉強して過去から学ぶ、理を極め尽くしてこの事実と出会いなさい。
上記、朱子学とは違い陽明学では下記の通り
そんなかったるいことは大事だけど意味ねぇ。直接この事実と出会って、その現場の中で自己を磨け。
上記の陽明学についてもう少し細かくまとめると
- 習わなくても、教えられてなくても何をすべきかというのは実はみんな知っているでしょう。
- 自分の良心に聞いて見なさい。君がどうすべきかは実はあなたは本当は知っているんですよ。
【到良知(良知に至る)】
- つまり、まずは正しく発現させなさい。その発現させた状態であなたが事上磨練、「行い実践しながら理解していきなさい」という考え方。
【結論】知ることと行うことはもう全く同じことなんだ。ということを言っているわけです。
例えば、花を見て綺麗だなぁと思ったとする。
上記について、陽明学では下記のように解釈する
※【補足】陽明学における「”見る”と”行う”の定義」については下記の通り
- 見る=知る。
- 感じる=行う
見た瞬間に「綺麗だな」と思うでしょ。
見てから改めて、別のステップとして綺麗だなと思っているわけではない。
つまり、見ることと綺麗だなと思うことはそれぞれに独立した別々のモノではなく、全く同じ行為なのである。
上記と同じことが全ての物事に対して起きている。
だから、「思ったということはやっているということ」だし「やってないってことは思ってないということ」
上記の通り、陽明学における「やる」の定義は広い。今の僕たちの感覚と少し違うことがわかる。
要は感覚で理解する、ということも含まれてくると思われるが、解釈としてはやはり”行為”につながっていくわけです。
- (朱子学)=しっかりと机の前で勉強して勉強し尽くしてから行動しましょう。
- (陽明学)とりあえず突っ込め!行動しろ!
- 本当はやらないといけないと思っているけど、やっていない状態。これは到良知(が発現が阻害されている状態なので良くない。
✔ヤバ偉人のぶっ飛び行動を理解できた
ここまで読んだあなたなら「もうわかりますよね?」
吉田松陰の一見ぶっ飛んだ行動の裏には陽明学があったわけです。(シーズン1参照)
- 良知を発現させないといけない。
- 良知を発現させて自らを燃焼させることが大切な学問(志を持ちなさい)
- 君が強い志さえもっていれば良知は必ず発現される
【結論】君が強い志を持っていれば、あなた自身がいいなと思っていることを実現することができる。それで自分を磨くことになるし、磨くために実践していかなくてはならないから結局「自分が良いと思ったことを全部やりなさい」
ちなみにこの陽明学という学問は江戸では採用されず、幕府は「朱子学」を採用している。なので当時の人は座学をしまくってます。
とはいえ、「陽明学」は一部で熱狂的なファンがいる。
例えば、水戸藩、大塩平八郎など、後に革命を起こしているような大物だちは陽明学を勉強しておりどんどん実践の中に投入していくわけです。
高杉晋作19歳、吉田松陰と出会う
当時の彼らの思考が理解できたところで、ここからは晋作についてのお話です。
高杉晋作は19歳で吉田松陰と出会う。そして晋作に会って間もないのに松陰は彼の才能を見出している。まさに人のポテンシャルを見抜く天才だった。
この子にはすごい才能があるぞ。でも、勉強(読書)が足りていないな。
勉強なんてする気はない。何とかするために俺は武に励むぜ。
彼に読書の大切さを伝えたい!
しかし、晋作はたぶん承認欲求とかプライドが高いから直接言っても意味ないぞ。よしっ「晋作がライバルと認めている日下玄瑞を褒める作戦」で刺激してみよう。
いや~、久坂玄瑞はちゃんと書物を勉強しててえらいねぇ|・`ω・´)チラリッ‼
「晋作の書いた詩を見せてもらった。そこそこうまくて悪くないけど、久坂玄瑞には及ばないね」|・`ω・´)チラリッ‼
吉田松陰の場合、本音で言っていた可能性もあるが、晋作のポテンシャルを見抜き。
【結果】晋作は対抗意識を燃やして勉強し始めます。
松陰先生!晋作は人の意見を聞かない頑固だ。先生からも注意してやって下さいよ。
晋作の頑固な性質っていうのは、よく解釈すると妥協を許さない1つの個性だ。
つまり信念があるともいえる。
これをみだりに矯正したらつまらない普通の人間になってしまう。だから私は彼を突き抜けさせたい。だから彼を変えない方が良い。
それに久坂玄瑞を褒めているけれど、私が10年後に何か大きなことを行うときには私は晋作に相談するだろうね。
それくらい彼にはポテンシャルがあると思っているし、そう育って欲しい。
桂小五郎は賢い人なので松陰に理解を示し納得します。
先生として彼の、人を信じる育て方は生徒にとって幸せなモノだったと感じます。
【結果】松陰と出会った人たちはみんな2年も経たないうちに偉人になったりすごい成長と結果を残していくこととなる。
✔高すぎる視座「俺と一緒に語ろうぜ」
既にシーズン1でも触れているが、先生として優秀な松陰のエピソードはたくさんある。
そして松陰との交流は19歳という若者たちにとって大きな影響を与え、彼開花し日本史、世界史に影響を与える人物たちへとなっていく。
シーズン1でも触れているが松陰の姿勢については下記の通り。
松陰はですます調でしゃべる言葉遣いの丁寧な人だったらしい。
そして入学希望者にたいして伝えている内容から先生としての優秀さを感じとることができる。
上記の通り、つまり「一緒に勉強しよう」と言っているわけです。
- ここは松陰が教える場所ではなくて、一緒に勉強する場所である
- お互いに人間を磨いていくことを目的としている。
- 自ら進んで学生の隣に座って勉強したり輪の中に入って議論する
シーズン1で既に述べているが、「君はどう思うの?」といったようなアクティブラーニングでの学びを行っている。
そして彼のすごいところは10歳だろうが27歳だろうが囚人だろうが年齢や立場に関係なく、何歳に対しても同じ姿勢で接するところ。
- 松陰は自分が先生だと思っていない。一緒に勉強する仲間が欲しい。
- 野山獄でも囚人を感化して、悪い人から良い人へしようなどと思っていない。
彼らの良いところを見つけて、それを吸収したいと思いながら一緒に勉強しているだけ。
この「一緒に語ろうぜ」という姿勢が、【結果】人を1番変えわけです。
晋作。僕がこうやって君と交流しているのは勉強するためじゃない。一緒に国の役にたつためにこうやって一緒に会話してるんだよ。
19歳の若者がこれを本気で言われたら、視座が高すぎてびっくりすると同時に燃えるだろうと思う。
【結果】晋作も幼いながらに毛利家のことなど色々考えていたが10歳以上年上の松陰にかけられる言葉が後々の楔として効いてくるわけです。
高杉晋作は吉田松陰との交流があったから後に、1人の人間として開花し世界史・日本史に影響を与えていくような人へとなっていく。
✔当時の常識では理解しがたい概念ではあった
- 松下村塾のアクティブラーニングすげぇ
- 吉田松陰は先生としても優秀
上記の通り、持ち上げ期待する表現が続きましたが実は当時の人たちからすると吉田松陰はとても危険な理解しがたい人物だと認識され近寄りたくない人物でした。
例えば下記の通り。
- 松下村塾は「ネトウヨ育成機関」じゃないのか
- 松下村塾のやつらは「乱民」だ
- 理解しがたい「危険思想」をふりまくな。お前たちが何をできるんだ。
上記の通り、当時の人たちからすると理解しがたい存在だったため白い目で見られていたわけです。
当然、晋作の親族も松陰を危険な人物だと認識しているので学校(松下村塾)には行かないで欲しいので禁止します。
しかし、晋作は深夜に隠れて学校に通い朝まで松陰と一緒に勉強しているわけです。
ごはんも出すし、何時に来てもいいよ。
(※19歳と一緒に勉強する、松陰はいつ寝ていたのか?)
高杉晋作、遊学編
黒船が来た後の時期、人材教育に力を入れている長州藩(#90参照)から江戸への遊学(留学)の許可が出始めます。
(※これには久坂玄瑞など、松下村塾で学び白い目で見られていた人たちも参加)
彼らは、これからの日本について松下村塾で松陰と一緒に語り合った後で行っているのでいわゆる意識高い系です。
「なんかしてやろう」とみんなが次々と江戸へ遊学へ向かう中、意外にも晋作はなかなか行かない。
理由は分からないが、友人たちがどんどん行くのに晋作は自分がいけないので焦りを感じている。
【結果】松陰に頼み藩政府に申し込んだりしてもらい念願かなって襲いながらも行くことができる。
✔松陰からの手紙「ゆけっ!晋作!」
【感動ポイント】この時、江戸へ遊学に行く晋作に松陰が手紙を書く。
手紙の内容は下記の通り。
- 君と私は今まで活発に議論をしてきたよね。いろんな意見があり合致するところもありましたね。そして君が本質を考えるクリティカルシンキングの力というのに僕は到底及びません。君のほうがすごい。久坂玄瑞が先に江戸で活動しているけれど、彼はすごく優秀な一方でまじめすぎるところがあるので僕は彼が失敗するんじゃないかとすごく心配しています。晋作と玄瑞は親友だよね。君たちは相互に足りない部分と長所がすごくうまく合致している信頼し合ったすごくいい友人だ。君たちの才能を合わせれば成せないことなんて1つもないよ。
- 色々な才能ある人がたくさんいる。だけど心から信頼できる同志というのはすごく大事だ。玄瑞は過剰に活動しすぎて失敗するかもしれない。だから彼を絶対に死なせてはいけないよ。
- ゆけっ!晋作!これから彼らと合流して国を動かしてきなさい。
上記の通り、松陰は「自分が武士だから先生だからといったポジショントークではない、人間どうしありのままの言葉を素直に手紙に落とし込んで渡している」
この手紙を受け取った晋作の気持ちに共感した人は多いだろうと思うが、下記の簡単にまとめる。
- 自分を1人の人間として認めてくれている視座の高さ、期待にこたえたい。
- 玄瑞を助けて仲良くしよう、一緒に何かでかいことをやろう成し遂げよう。
- 俺にも何かできるかもしれないという自信。
✔次回へ
この手紙を受け取った晋作が江戸へ行くのが、攘夷の熱が激しいてんやわんや直前の時期。
この盛り上がる直前の時期に役者が江戸でそろっていく。
ちなみに松陰自身は逮捕されており罪人として蟄居しているので江戸には行けない。
とはいえ、その弟子(同志)たちが江戸に集結していくという時期。
#92 獄中から贈る言葉-吉田松陰との涙の決別(約27分)
- 念願叶って江戸への留学を果した高杉晋作は、松陰に弱音をさらけ出しており、人生の方向性に迷走している。
- 言動が過激にエスカレートしていく吉田松陰は周囲から見放され孤立してしまうが、晋作は身の回りの世話を続け奔走していた。
- 「父・松陰・自分・国」様々な要素による板挟み構造から生まれる葛藤と苦悩が、高杉晋作から人間的な魅力を醸し出している。
- 獄中の良し吉田松陰から贈られた手紙で解かれた「死生観」が、後の晋作の人生の要所要所で楔となって効いており、多大な影響を与えている。
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念願かなって江戸へ遊学に行った晋作がどうなっていくのかというエピソード#になります。
誇りをもって勉強していた
念願かなって仲間たちと江戸へ留学(勉強)にいけた晋作は、日本橋にある大橋訥庵という人の私塾に入る。
ここは、攘夷論を激しくぶつけ合うような当時は大人気の私塾だった。
しかし晋作は2か月で辞めます。
理由は不明(※一説によると新入生は玄関番をさせられていたらしい)
おれは玄関番や稽古のために来てるわけじゃねぇ!勉強のために来てるんだから、もうこんな所にはいない1
松下村塾で松陰と最高の学びを体験した後で、いきなり普通の学校にいっているので期待値との落差があったのではないかと思う。
そして下記の通り、この時の晋作は松陰に手紙を出してディスっている。
バカばかりです。ここにはバカしかいません。
✔実は攘夷志士の大半がただのチンピラ
ちなみに、晋作は水戸藩の人たちについても「水戸藩のやつらも全然たいしたことない」と松陰に手紙を送りディスっている。
- 尊王攘夷の精神、思想の中心に水戸学というのがあった
- 水戸学は水戸藩から出てきているので、この人たちは攘夷のジャンルででいうベンチャーで例えるならばシリコンバレーのようなモノ
今では攘夷志士に対して「すごいね」とイメージする方が多いかと思う。
しかし実際には、当時の攘夷志士は/の大半は「口だけのチンピラ」でした。(※黒船が着て世間的には今でいう右翼に寄っている)
俺たちは攘夷志士だから偉いんだぞ。俺は攘夷志士だからお前ちょっと金をよこせ。スポンサーになれ。
上記に対して、陽明学で学んでいる晋作や松陰は徹底的に軽蔑していた。
こいつら大口ばかりたたいてるだけで全然何もしないぞ。
もし実際に戦争になった時に、こいつらは絶対に役に立たないな。
【結論】晋作が塾を2か月で辞めた理由は恐らく下記の通り
- 松陰との最高の学びからくる期待値との落差
- (陽明学と相反する性質)大口をたたくわりに実が伴っていない現状
大学デビューで迷走
次に晋作は、昌平黌という幕府が作っている(国立大学のような)学校に入ります。(※全国のいろんな秀才が集結するような名門の学校)
ここで彼は「学校の規則を破り・酒を飲み・遊び」俗に言う大学デビューのような状態になる。
✔晋作の迷走、松陰に見せる弱音
この頃の晋作は、日記や松陰への手紙で人生の方向性に迷走していることがわかる
- 自分は何をしたら良いのか分からない
- 俺の心は今、乱れている
- 学問の方向性が分からなくなった
- もうどうしていいかわかんないです。
つまり、松下村塾でみんなでエネルギーを培養してあふれている状態、いざ解き放たれて江戸へ行ったけれどみんなどうしていいか分からなかったわけです。
彼らは若く色々な人に出会っただろうし誘惑もあったはず。時には誘惑に負けることもあっただろう。
しかし、ここで自分の弱みやかっこ悪さをさらけ出せる晋作と松陰、2人の心理的安全性がある強い繋がりの関係性がみられるわけです。
松陰の所が安全だったからこそ、外の世界(普通の学校)に戸惑い違和感を感じたのかもしれません。
✔野山獄へ投獄される松陰
そしてこの昌平黌へ晋作が入学した1ヵ月後に松陰は野山獄に投獄されます。
老中、間部詮勝という人の暗殺を企てて長州藩(政府)に武器をくれと言い。
あまりにもどうどうとした「テロ宣言」と「武器支援の申し込み」に驚いた政府は松陰を野山獄に入れる(シーズン1参照)
少し戻って(ペリー来航→松陰の投獄)
話が前後しますが、「この時に江戸ではどういうことが起こっていたのか」について(ペリー開国~松陰の投獄)について振り返りつつ解説です。
✔板挟み構造1 老中、阿部正弘
- 幕府がペリーから開国を迫られています。
- 幕府は単独で開国するという自信がないので色々な人を集めて意見を聞きました。
- しかし、【結果】意見の一致(合意)は得られませんでした。
Qどうする?
A1番欲しいのは天皇(朝廷)からの許可があればいいよね。(そうすれば、意見をまとめる(合意)するための1つの要素として使える)
しかし当時の天皇(孝明天皇)は開国絶対反対派なので、全然許してくれない。
【結果】幕府は朝廷の許可が得られないままに状態で日米修好通商条約を結ぶことになってしまう。
- 彼らが優秀じゃなかったとは思わない。当時腐敗はしていたとはいえ、上層部では優秀な人たちが頑張っている
- 徳川家(国)について考えて動いていたが、システムの敗北により板挟みでどうにも動けない状態
- 超優秀だった阿部正弘は老中を辞めストレス(心労)で亡くなる。「もうつらいです」
✔板挟み構造2 大老、井伊直弼
上記の通り、この混乱した幕府の反動で井伊直弼という人が出てきて、老中より上の大老という非常職に就く。
そして一気に国政を動かしていくわけです。
【結露】不平等条約を勝手に結んでしまう。
【結果】「朝廷の許可が無いのに勝手に結ぶとか何事だ」全国で激怒な人たちが出て来る。
✔松陰の投獄
上記の激怒な人たちの筆頭が「吉田松陰」だった。
朝廷の許可が無いのに勝手に結ぶなんて、幕府は国を害する存在だ。
これはもう絶対に倒さないといえないな。
こんな状況で幕府の弱腰外交なんてしてたら日本はもう外国の属国になってしまうぞ。
とはいえ、高圧的なアメリカ(ヨーロッパの国々)に対して、松陰は「朝廷を中心とした優秀な人材を集めて新政府を作るべきだ」と思っているので、そこは明治政府と一緒だったわけです。
そして、間部詮勝を殺そうとして捕まり野山獄に入れられる。
野山獄の次に江戸へ連れて行かれて大老、井伊直弼が攘夷派の人たちを大弾圧した。
【結果】色々な人が江戸に集められ尋問を受ける。(シーズン1参照)
つまり、吉田松陰は間部詮勝の暗殺とは全く関係の無い別のことで江戸に呼び出されているわけです。
攘夷派の人と結託したんだろう(疑いをかけている状態)
結託なんてしていません(※事実していない)
そうか、結託してないならこれで終わりだ。解散!
結託はしてないけど、俺は老中を暗殺するぞ (`^´) ドヤッ!
Σ ゚Д゚≡( /)/エェッ!
(; ゚ ロ゚)ナン!( ; ロ゚)゚ デス!!( ; ロ)゚ ゚トー!!
【結果】松陰は獄につながれる。
そしてこの時、晋作は昌平黌という幕府が作っている(国立大学のような)学校に入る。
そして人生の方向性に迷走して大学デビューをキメてしまっていると。
落ち着いて下さい。松陰先生。
この間に松陰から晋作たちへ手紙が送られている。
一緒に間部詮勝を暗殺しましょう。
決起しよう。今がまさにその時だ。
上記の松陰からの手紙に対して、晋作たち(久坂玄瑞、桂小五郎、など)は江戸での経験を通じて少し冷静になっていた。
つまり、良くも悪くも松陰から離れていたので熱が冷めているわけです。
しかし、松陰は1人ヒートアップし続けている。
- 先生ちょっとやばいぞ。落ち着いてください。
- 江戸で情報を得てファクト認識した結果これはどうしようもないから決起するのは今じゃないよ。
上記の通り、「僕たちも本気です」という血判状を出した。
これに対して、ヒートアップしている松陰は怒りだす。
ふざけるな!お前たちの志はどこへ行ったんだ!おまえらはその程度の人間なのか?もう絶交だ!
感動的な手紙で送り出してくれたけれど、ここで絶交することになる。
✔物理的距離と心理的距離
例えるなら、松陰のスタンスは可能か不可能かはやってみないとわからない。「崖の高さは飛び降りてから理解しようぜ」という感じ。
彼には激しい時と冷静な時の波がある。
松陰自身、それぞれに長所があるので全部がダメと決めつけることはしないが「なぜ反対するんだろう」と言っていので、理解できず悔しかったのかもしれない。
これに対して晋作たちはもう若干引いてしまっているわけです。
例えば、松陰充ての手紙で「先生はもう少し思慮のある人間だと思っていましたが絶望しました」と送っていたりする。
現代のように簡単にZOOMやSkypで繋がれるわけではないので、松陰から離れ江戸という都会にいる間に晋作たちは冷静になっている。
現代でも環境や属するコミュニティの変化が思考や行動に変化をもたらすされている。やはり人には身近な環境や習慣に影響を受けやすい側面があるのかもしれない。
✔松陰の孤立、晋作は1人奔走する
私は今、獄中に居るが何ができるか考えよう。
弟子たちよ、外ではどうなっている?手紙で情報をくれ。
先生。江戸ではあんなことやこんなことが起きています。
これ以上はやばい、手紙で情報を与える(薪をくべるのはやめよう)
上記の通り、松陰は獄中でもずっと考えているがヒートアップし過ぎて弟子たちはもう壁壁しているわけです。
それでも、まだ松陰についてきてくれる弟子もいたけれど彼らも窮地に追い込まれていきます。
それをみた松陰は困り果て【結果】松陰は弟子たちに見放され1人孤立していくこととなる。
しかし、晋作は1人松陰の世話をして奔走している。
例えば下記の通り。
- 松陰が牢番からいじめられないように賄賂を渡せるようにお金を届け
- 外に手紙を出せるように筆記用具を用意し
- 面会はさせてもらえないが世話を続けていた。
晋作はまじめなので罪悪感があったのかもしれない。きっと彼なりに考えて思うところがあったのだろう。
松陰先生が決起しようと言っていることに対して、ついて行かない選択をした自分は果たして本当に良かったのだろうか
- 仲間はみな松陰を見放し
- 松陰には絶交され
- 長州藩にはぶられ
上記の状況の中で晋作は1人奔走し松陰の世話を続け、松陰から「心が落ち着きました」と手紙が届き、絶交が解かれる。
板挟みから生まれる葛藤と苦悩
上記の通り偉人とはいえ彼らは未熟だった。
そして注目すべきは、松陰が行き過ぎているだけで久坂玄瑞たちも過激だった。
しかしこの全員過激な中で実は晋作にだけストッパーがかかっているわけです。
理由は下記の通り。
高杉家・毛利家に迷惑がかかるから絶対するな。
上記の通り、冷静である意味正しいちゃんとした父にずっと言われていることが晋作が振り切れないストッパーとして機能していた。
つまり、晋作は板挟み構造の中にいるわけです。
具体的には下記の通り。
- (友)久坂玄瑞
- (師)吉田松陰
- (家)父親&毛利家
そして久坂玄瑞に対して手紙を出しており、晋作はこの中でずっと揺れていることが分かる。
父のことは尊敬しているんだけど、父がしょうもないことを言って止めてくる。
それは自分の考えとは全く違うんだけど、それでも僕の父だから聞かざるを得ない。
しかし、久坂玄瑞たちは晋作ほどエリートな家柄ではないので理解できないわけです。
✔生みの親・人生の師
- 晋作にとって「君主に対して父に対しての親不孝は絶対にしてはいけないこと」
これは儒教の基本であり、武士のエリートであるアイデンティティーの1つ。 - 松陰から受け取った新しく芽生えるアイデンティティー
上記の通り、晋作は2つのアイデンティティーの板挟みの中にいるわけです。
そしてこの板挟みで作られる葛藤が一生続き、彼の人間的な魅力を醸し出しているわけです。
✔まとめ
ここまで述べたように、晋作は「父・松陰・自分・国」色々な要素が絡み合い身動きが取れない。
松陰たちは振り切れているので過激だけど、晋作は真面目にも人間として悩む。
だから本質的には過激で破天荒なのにストッパーがかかってどっちともとれないわけです。
具体的には下記の通り
- 父(生みの親)と松陰(人生の師)の間でアイデンティティーに揺れ
- 自分が信頼している松陰の手紙で一緒に大きいことをしようと言われた仲間たちはどんどん過激になっていく中で、自分だけずっと父親のストッパーがかり振り切れない。
- しかし彼の本質は1番過激タイプ
松陰からのメッセージ
そしてこの時に晋作は松陰と手紙のやり取りがあるのですが、これが後に要所要所で晋作の決断に生きてくる。
具体的には下記の通り。確認しておきましょう。
✔死生観
獄中の松陰は過去に晋作と交わしたやりとりについて考え、自分なりの答えを見つけたことを手紙で伝えている。
悩み相談「どうやって武士として(男として)かっこよく死ねばいいのかな?」
「晋作さぁ、君がすごく昔に男ってどういう時に死ねばいいのかっていう質問を僕にしたよね」
一緒に考えたけれど当時は分からないかった。「どうだろうね」
でも獄中で考えた結果「ついに、私の中で答えが出た(分った)」ので手紙に記します。
そして、松陰が考え着いた答えが下記の通り。
- 「死して不朽の見込みあればもういつでも死ぬべし」(※死んでそれが朽ち果てない功績となるのであればいつだって死ねば良い)
- 「ただ生きて大業の見込みあらばいつまでも生くべし」(※生きていてそのあとの人生ででかいことをする可能性があるんだったらいつまでも生きろ)
- つまり何が言いたいかというと、「生きるか死ぬかはどうでもいいんだよ。生死に関係なく1番大事なことは生死の外にあるんだよ」
上記の通り、松陰のこの手紙が後に晋作の要所要所の決断に生きてくるわけです。
当時の志士たちは何かとすぐに死のうとする。
理由は下記の通り。
- 死に対してこだわっている
- いかにかっこよく死ぬか
- いかに死を華やかにするか
上記に対して松陰は「違うんだよ」と言っているわけです。
そしてこれがあったから他の志士たちがどんどん亡くなる中でも、破天荒で真っ先に死んでいきそうなキャラクター(高杉晋作)は生き残り大きなことを成し遂げるわけです。
この時の松陰は獄に繋がれていてまさか自分が処刑されるとはまだ思っていない。
しかし獄中で色々なことを考える中で、過去の晋作とのやり取りを思い出し、時間があるから考えて、思いついたことを伝える。
そしてそれが人生に影響を与えている。まさに鳥肌モノのエピソードです。
✔進路についてのアドバイス
松陰からの手紙(メッセージ)は晋作の人生に影響を与えているところが多く。上記のような死生観だけでなく”進路についてのアドバイス”もしている。
晋作にしたアドバイスの内容は下記の通り。
- まずは江戸での遊学をちゃんと済ませなさい。
- 結婚して役職に就け、それでひたすら両親を安心させてあげなさい。(※儒教の考えにのっとり、藩主に仕えて信頼を勝ち得ろ)
- 信頼を勝ち得たら正義正論を主張して失脚しろ(全部捨てろ)そして人に会うな
- 人に会わずに死ぬほど勉強しろ。そして無私無欲の人になったらその10年後にお前は爆発する。
上記の通り、松陰はめちゃくちゃなアドバイスをしている。
そして、晋作はこれをちゃんと聞いて再現するわけです。
高杉晋作は破天荒のイメージがあるが、実はとても素直な人だった。
父親と松陰の言うことをすごくよく聞いている。晋作は自分が認めた人の話は聞くタイプの人だったようです。
松陰との別れ
松陰は獄中にいるとはいえまさか死刑になるとは思っていない状態。
しかし当時、幕府の大老である井伊直弼がすごく強硬派。
国を安定させるという意向もあり国政を前に進める政策をしていく。
具体的には下記の通り。
朝廷の意向を無視して攘夷派の意向も完全に無視してやりたい放題をわざとやる。
朝廷の意向を無視して攘夷派の意向も完全に無視してやりたい放題をわざとやる。
色々な人が色々言ってくるけれど自分がしっかりしないといけないと思ったのかもしれない。
思いっきり物事を進めてどんどん処刑していく。
上記の通り、一定の人たちが処刑されているのが耳に入った頃から松陰も「これはもしかしたら自分も死ぬかもしれない」と思い始める。
これにより松陰は遺書のような感じで色々な人にメッセージを最後に送る。
「最終的には身はたという武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(※ここで自分は死んでしまうかもしれないけれどこの俺の魂はここに置いていくぜ)
上記の通り、遺書のようなメッセージを残して吉田松陰は斬首され最後を迎える。
✔晋作視点
晋作が遊学から帰っている途中の時期に松陰は処刑されました。
この時は晋作も松陰先生がまさか処刑されるとは思っておらず、父に呼び戻されて遊学から帰っていた。
ちなみになぜ父に呼び戻され萩に帰っているのかというと「松陰の手伝い(世話)をしているのが父にバレたから」です。
お前もう本当に松陰と関わんなよ。もう帰ってこい!
上記の通り、萩に呼び戻された晋作は帰るわけですが、当然この時代は新幹線もないので何週間もかかるわけです。
そしてその途中で松陰が処刑され、戻ってから先生が亡くなったことを知った晋作が激怒する。
ここまでの松陰の流れを晋作視点でまとめると下記の通り
感情的に処理が追い付かなかったのではないだろうか。
- 松陰先生と一緒に楽しく勉強している
- 念願叶って江戸遊学へ行ける
- 江戸にいったら松陰線が過激にヒートアップしてヤバイ。おかしなことになって独につながれる。
- 江戸に呼び出されて審議尋問を受けたと思ったら突然の自白
- 江戸の獄中につながれることになる。
- そのまま処刑されると思っていなかったのに、いきなり処刑される
上記の通り、いきなり処刑までいってしまうという松陰の亡くなり方に晋作は感情の処理が追い付かず。突然知らされた別れに激怒する。
✔#93へ続く
- 帰国の途中で松陰先生の処刑を耳にして突然の別れに激怒する晋作がどうなっていくのか
- #92などで触れている松陰から晋作へこれまでの手紙やメッセージがどういう風に晋作に影響を与えていいくのか
注目しつつ、下記エピソード#93に続きます。ぜひご覧ください。
#93 留学費用で夜遊び三昧!?高杉晋作が上海で見た衝撃的な光景とは?(約23分)
- 「桜田門外の変」が起きるなど、幕府の権威が地に落ちる激動の時代の中で、師である松陰を失った晋作は自信を失い迷走。航海術や剣道修行をするが、いずれも途中で投げ出し挫折している。
- 上海視察で西洋の圧倒的な技術力と清の惨状を目にした晋作は、凄まじい危機感を抱きついに父のストッパーをはずし振り切れる。
- 晋作が上海視察に行く間に、過激は政治闘争で長州が尊皇攘夷論に振り切るステージに突入。これにより長州が日本の表舞台に立っていくこととなる。
- 留学の経験の有無で近代的なモノを取り入れる大切さへの認識に差が有り、理解を得られず失望した晋作は脱藩する。
目次へ戻る
審査が松陰っぽくなっていく。挫折と成長のエピソード#です。
師を失い激怒と挫折
すごく頭にきているけれど、父もいるから自分が思った通りに復讐することができないんだ
上記の通り、晋作は長州藩の重鎮である周布 政之助に手紙を送っており、
帰国の途中で松陰の処刑を耳にした晋作は激怒する(エピソード#92参照)と、同時に父や毛利家のことを考え無理やり冷静にもなっている彼の複雑な心境が分かるわけです。
✔とつぜの結婚
ちなみにこの時、家に帰った晋作に何がおきるかというと【結論】結婚させられます。
も22歳なんだし(当時でいえば結婚していてもおかしくない年齢)16歳のお嫁さんをもらって子孫を残しなさい。
俺は30歳になるまで絶対に嫁はもらわない!
上記の通り、晋作は豪語していたけれど相手(雅子)さんが萩で1番の美人だったらしく結婚し息子も生まれる。
✔萩の人材育成、航海術を学ぶ
この時期、萩に戻り結婚させられた晋作。
次に何が起こるかというと「航海術を学びなさい」ということが藩の命令として下ります。
これは人材教育の一環(#90参照)。将来的に藩を動かしていく中心人物として育てようという概念のもと、晋作に航海術を学ばせたいわけです。
男としてこの宇宙に生まれたんだ。筆や硯の家来になんかなれるかっ!(※事務仕事じゃなくて、何かでかいことをしてやるぞ!)
上記の通り晋作は非常に喜び意気込んで、再び萩から江戸へ船に乗っていく。
しかし、江戸についた途端に「航海術の勉強を辞めます」
2ヵ月間の航海で学んだけど、これは違う。俺っぽくないね。
✔激動の時代、桜田門外の変
ちなみに晋作が航海術を辞めた同時期に江戸では「桜田門外の変」が起きている。
「桜田門外の変」については下記の通り。
井伊直弼から弾圧されていた尊王攘夷派の水戸藩の浪士など中心人物たちが、その復讐のために井伊直弼を白昼堂々と暗殺する事件。
これはテロであり、幕府の威厳が地に落ちるということを意味している。
幕府とは将軍の次に偉い人、或いは将軍よりも権限を持っている人であり、そんな大物が白昼堂々と暗殺されたわけです。
現代の日本で例えるならば、首相暗殺レベル。
上記の通りただ事ではない出来事が起きてしまうという激動の時代だったわけです。
✔自身消失、再び萩へ戻る晋作
この頃の晋作はだいぶ自身を失っており、メンタルが弱いのか繊細な様子が見られる。
- 自信の喪失
- プライドが高いだけにダメージがデカくどうしていいか分からなくなる。
- さらに師(松陰)も亡くなりダブルパンチ、もうどうしていいか分からない。
航海術を学び江船に乗って江戸へ来ていた晋作は、ここから再び萩へと戻る。
この時、日記には「道中でずっと剣術修行をしていこう」と記されている。
しかし、これも航海術と同様に途中で途絶えるわけです。
理由は単純「負けたから」どうやらここでも勝てずに負けて自信を失い日記も書けなくなったわけです。
再び陽明学を学び松陰の魂を培養
- 師を失う
- 航海術を学びきれない
- 剣術に負ける
- 日記も続かない
後付け的な解釈になるのかもしれないが、これらは晋作にとって成長に必要な挫折だったのかもしれない。
色々な挫折を経て晋作はここで改めて勉強に振り向き、そこで学ぶのが「陽明学」だったわけです。
再び陽明学を学ぶことで松陰の亡くなった魂(意志)を晋作がさらに培養し始めることになる。
✔再起する晋作、再び江戸へ
萩へ戻った晋作は、世子小姓役という役職に選ばれる。(※殿様の息子のお世話役のようなモノ)
つまり、長州藩のエリートスタートわけです。
そして、仕事自体は簡単な事務仕事のようなモノだったらしい。
とはいえエリートなので世子小姓役として再び江戸へ行くことになります。
こうして、再び江戸へいった晋作は久坂 玄瑞や桂小五郎たちと交流し始める。
✔藩論が攘夷へ向いていく
当時の萩(長州藩)には長井 雅楽という思想家的な政治家がいました。
彼は、晋作の父の友人でバランス型のまっとうな考え方をする人物。
すごく開明的な考え方を持っている人物。
単純に外国人の排斥なんかしても意味が無いでしょう。
だから、ちゃんと世界と交流して国力を養成していきましょう。
それによって富国強兵していくし、殖産興業していきましょう。
藩の方針(藩論)として採用!
上記の通り、まっとうな考え方を持ったバランスタイプの人が藩主たちを説得することで、藩論として採用され藩の方針が決まっていくわけです。
しかしある日、長井 雅楽が言っていることに攘夷派である久坂 玄瑞たちがめちゃくちゃ反対する。
「開国するとは何事だ!」
恐らくファクト認識できておらず、とにかく反対している状態。
【結果】久坂 玄瑞たちの反対活動が功を奏して藩論を攘夷に振り切らせていくことになります。
どういうことか、具体的には下記の通り。
- 久坂 玄瑞たちの攘夷思想は過激すぎるので、当時の藩の中で受け入れられていない状態。
- 受け入れられていない理由は久坂 玄瑞たちが「倒幕を目指していたから」
- 当時の一般的な藩は「江戸幕府という既存のシステムを生かしながら天皇という存在を強調してそれによって国をまとめて外国に対抗していこう」。なので倒幕までは望んでいない。
「江戸幕府を倒すんだ!」
極端に振り切っている
1番声のでかいやつの意見採用!
上記の通り、優柔不断な殿様がその時1番勢いがあって声の大きい方を採用したわけです。
【結果】長井 雅楽は妥当な事を言っていたけれど、そこを押し切って藩論が変わっていく。ということがこの時期に起きているわけです。
✔理解補助(振り返り)
状況が目まぐるしく変遷しているので話が難しくなってきた人に向けて、ここまでの晋作たちの動きをざっくりまとめました。
振り返っておくと下記の通りです。
- (江戸→萩)晋作は帰国途中。松陰の処刑に激怒し涙。
- (萩→江戸)結婚。航海術を学ぶため船に乗り移動
- (江戸→萩)自信消失。剣術の修行に挑むが負け。繊細な一面を見せた。
- (萩→江戸)再び陽明学を学び松陰の魂を培養。江戸で久坂たちと交流。
- 長井雅楽の妥当な意見が押し切られ、藩論が変わってきた。
上記のような中で晋作にヨーロッパ行きの内命が下るなど、海外視察の機会がありこの辺りから彼の人生が大きく変わりだします。
具体的には下記の通り。
晋作の人生(歴史)が変わる海外視察
✔続く晋作の空回り
翼があるなら色んな国を見てみてぇなぁ
上記のように晋作は江戸へ遊学していた時におしゃれ発言しており、このことから「新しい文化に触れて色々なモノを見ることが大切」だと思っていたという価値観が見て取れる。
そして、晋作がその機会をずっと伺っていたら本当にそのチャンスが巡ってきたわけです。
- 周布政之助とは、長州藩の政府の重要人物。
- 幕府がヨーロッパに対して使節を送ることを考えていて、そこに雄藩の何人か若者を従者として連れて行くことが可能だ。
- ぜひここに優秀な長州藩の若者を随行させて世界を見せたいと思った。
上記の中で、白羽の矢が立ったのが晋作だったわけです。
当然これには晋作もウキウキで大喜びでした。
これでヨーロッパに行って世界(先進的な国)をみることができるぞ!
松陰が黒船に小舟で行ってまで世界をみようとしたけれどできなかったそれを、俺(自分)はできるんだ!
父親からも賛同を受けて「殿様たちがそう言っているんだったらお前も行って着なさい」と話しが進むかと思いきや…。
【結果】晋作は最終選考で漏れます。
本当は2人連れて行く予定だったのが枠が1人になってしまい、その1名に入れなかった。
なのでそれまでウキウキで日記を書いていたがまた途中で辞めており、めちゃくちゃ落ち込むわけです。
ここまでの晋作の話を振り返ると、実は彼の行動が1つも成功していないことが分かる。
簡単にまとめると下記の通り。
- 松陰だけが「お前はすごい」と言ってくれていただけ。
- 全部失敗して途中で投げ出して日記を途中で書かなくなっているだけ。
- 結局彼は色々と頑張っていたけれど全然自分を見つけきれていない。
- 久坂 玄瑞たちは藩論を動かすほど活動しているけれど、晋作は父親からのストッパーがかかっているのでそこまで動かせていない。
久坂 玄瑞たちは京都にいて天皇の周辺でばりばり活動してライジングしているのに、二大巨頭と呼ばれていた自分は何してんだろう。
マジお落ち込むわぁ。
上海って行く意味あるんだっけ?
上海かぁ、ヨーロッパ行きたかったなぁ、、、。
愚かだけど君命だからしょうがないよね。
上記の流れで、晋作は微妙な感じで上海に行くことになる。
そしてここから彼の人生が良い方向へとと大きく変わるわけです。
✔まずは、長崎へ
- この頃の日本は鎖国しているので中国との国交が無い
- 中国はアヘン戦争以後で政情不安
上記のような理由から、上海へはオランダを通じた貿易のふりをして晋作は幕府の従者としていくことになる。
そのため色々な藩からも他に従者がおり、まずは長崎へ集合してから出向するわけですがそこで2ヵ月ほど待たされることになる。
そしてこの時、晋作は長州藩から上海へ行くための留学費用としてのお金(¥数百万円)を貰っていた。
しかし晋作は、税金から出ているその留学費用を風俗で使ってしまう。
つまり、留学費用としてもらった国の金(税金)を湯水のように使って毎日派手に遊ぶわけです。
なぜこのようなことをしているのか、下記のようなことが考えられる。
- 今でいう精神病のような状態にあり「焦燥感」「焦り」から刺激ある何かをしていないとじっとしていられない。精神的に正常な状態を保てなかった。
- 久坂 玄瑞たちがどんどん活動してライジングしているので「焦り」を感じている。
✔歴史を動かす人、ガンディーとの類似点
ここまで晋作の人生をみても、彼が世界史を動かすような人間には見えない。
特に優れた結果を出しているわけでもなく、ガンディーの前半(シーズン10 #56のようであり誰が歴史を変えるか分からないし誰もに可能性があることが分かる。
✔「百聞は一見に如かず」衝撃の上海視察
長崎で2ヵ月間遊んだ後はちゃんと上海へ行けた晋作。
彼はそこで西洋の圧倒的な技術力を見せつけられてしまうわけです。
具体的には下記の通り。
- 蒸気船の実物
- アームストロング砲
- 武器兵器(※日記にスケッチを描いる)
- 西洋人に対して負けて、奴隷のように扱われてへりくだる中国人(※晋作が1番衝撃を受けた)
西洋との圧倒的な技術力の差もそうですが、晋作は戦争に負けた後の中国人の様子に1番衝撃を受けてすさまじい危機感を感じるわけです。
具体的には下記の通り。
上海でのできごと | 晋作が感じたこと |
戦争に負けて西洋人に対してへりくだる中国人。イギリス人やフランス人が道を通る時には中国人が道をあけないといけない。 |
|
イギリス人が造った橋があり、その端を中国人が渡る時には通行料が取られる。 | 自分たちの領土なのにそんなことがあってたまるか!自分たちの国の自分の橋を渡るのになぜ外国人に金を払わないといけないんだ! |
| 神聖な場所なのに西洋人の寝床にされて踏み荒らされている。儒教のことも知らないようなやつらがそこにいるといういうすさまじい危機感を抱いた。 |
上記の通り、晋作は「俺ら日本がこんな風になってしまったらどうしよう」というすさまじい危機感を抱くわけです。
これまで彼は松陰から話も聞いていたしアヘン戦争についてもコミュニティを作って松陰や仲間たちと議論して話をしていたけれど、その実物を見てしまった。
まさに「百聞は一見に如かず」この実物を見てしまったことで、父のストッパーが外れて晋作は振り切れるわけです。
✔晋作2.0ファクト認識
上海視察を経験して、晋作や共に留学した人たちはみんな「近代的なモノを取り入れることの大切さ」を強く認識していく。
例えば下記の通り。
- 蒸気船があればいったいどんなことができるのか
- 薩摩藩は既に蒸気船を買って色々なところと密貿易しようとしている
- 1隻あるだけで想像よりはるか遠いところまで行って貿易できる。世界が広がるんだ。
- アームストロング砲など近代兵器に中国人が怯えている。人数なんて関係ないんだ。
(注目ポイント)
当時この留学をしていないひとたちはファクト認識できていない状態なので分からない。
それまで中国は日本にとっては大国であり参考にする先生だったわけです。
しかし晋作たち留学経験者組は中国領土が荒らされている現状、西洋列強の圧倒的な力を目の前で見てしまった。
そして面白いのは、もし晋作がヨーロッパに行けていたらおそらく気づけなかった。
つまり、皮肉にも上海に行ったから目の当たりにできたということ。
【結果】晋作のストッパーが外れて振り切れるわけです
✔晋作が勝手に船を買う?!
上海で衝撃を受けた晋作は長崎に帰国した直後、藩に無断で勝手に契約だけ結び蒸気船を買います。
「俺には確信がある、絶対に蒸気船が必要だ!」
オランダへ声かけ「長州藩が買うから蒸気船をくれっ」
上記を現代で例えるならば勝手に会社の金を使うのと同じであり、当然「稟議書を通せよ!」という流れになるわけです。
【結果】問題になり破断してしまったので蒸気船は変えませんでした。
ちなみに、下記の通り周布正之助という人は晋作を擁護しており共感していました。
認識の差に晋作は失望
✔過激に動く政治闘争
晋作が上海へ行っている間、日本では久坂 玄瑞たちが京都で周旋、斡旋しまくり政治が大きく動いていました。何が起きたのか具体的には下記の通り。
長井雅楽を久坂 玄瑞たちが藩の中で意見を固めて行き排斥して過激にも切腹までさせる。
上記の政治闘争により「公武合体論」はなりを潜めることとなる。
【結果】代わりに長州が尊王攘夷論に振り切り、「日本の尊王攘夷論を推し進めていきます」というステージに突入していき、長州が日本の中央政界の表舞台に立つこととなるわけです。
✔帰ってきた晋作
上記の流れの中で、上海視察を経験してきた晋作は「軍備増強」を訴え続ける。
理由は近代兵器を見てきて軍備増強をしないとどうにもならないことが分かっているからです。
しかし晋作の他は直接見て経験していないので、みんなそれが理解できず分かっていない。
この周囲の反応に対して晋作は失望しやる気が失せてしまうわけです。
- 俺(晋作)の実力では藩や他の人を動かすほどの実力にまだ到達していない現実。
- 上海視察を経験して自身のボルテージが上がっている中で、周囲は勤王勤王と言って結局は何も考えていないやつばかり
- 晋作からしたら本当は軍備増強しないといけないのに理解されず、今のままでも日本は勝てる(外国人を倒せば良い)というわけのわからないことを言っているのが多数いるのはやばいなと思っている状態
上記の通り、晋作の主張「軍備増強」が理解されず聞き入れられなくなった。
そしてこの時に晋作が何をしたかというと彼は「脱藩」します。
つまり、長州を飛び出し離れるわけです。
ではなぜ晋作が重罪である脱藩するのかについては下記、次回(エピソード#94)にて見ていきましょう。
#94 「諸君、狂いたまえ」高杉晋作の過激過ぎる尊皇攘夷論(約14分)
- 上海での経験、松陰とのやりとりなど総合して臨界点を突破した晋作は脱藩を決意するが、脱藩罪にならないように兄貴分の桂小五郎が世話をしてくれた。
- 自身で狂挙と呼び吉田松陰化していく晋作は、外国人暗殺と英国大使館の焼き討ちを企て、後者を成功させる。
- 晋作は10年の休暇を藩に申請し、頭を丸めて隠居し始める。
- この頃の晋作はアツく燃えている様で冷めている様子もあり、一匹狼感のある一言では説明できない不思議さがある。
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上海での経験を経て以降、臨界点を超え大きく変わった晋作についてのエピソード#になります。
脱藩を決意した晋作
✔これまでの晋作とは全然違う
海外の様子を見た晋作の意見は認識の違いから聞き入れてもらえず、彼は自暴自棄になったのだろう脱藩を決意します。
ちなみにこの時、脱藩を決意した晋作は律儀に父へ手紙を出している。「このたび国事切迫につき余儀なく亡命つかまつり候」
- 論理的に考えて晋作の脱藩は意味不明な行動。
- 晋作が脱藩したからといってどうかなるかというわけでもないわけです。
上記の通り、実は脱藩自体にはあまり意味が無かった。
しかし、ここで注目すべきは彼が決意して大きく行動をしている点なわけです。
どういうことか、具体的には下記の通り
- これまでは父を気にして大きな行動が取れなかった
- しかし「上海での経験」「吉田松陰とのやりとり」これらを総合して臨界点を超えて行動をおこすようになった。
✔桂小五郎のおかげで脱藩罪を回避
みんなから慕われ尊敬されているまさに兄貴分の桂小五郎によって、晋作は脱藩罪に問われず帰ってきます。
【晋作脱藩の主な流れは下記の通り】
- 松陰の墓に参拝して脱藩を決意する
- 攘夷運動に参加してもらえるように明倫館の教授(加藤有隣)に会いに行く
「一緒に攘夷運動に投入しましょう」
了解です。
✔「狂挙」振り切った晋作のエネルギー大爆発
何度も述べているが、臨界点を迎えた晋作はこれまでとは全然違う。
脱藩から帰ってきた晋作は次に、外国人を暗殺しようとする。
- 軍備増強が大事だと思いながらやっていることは過激になっている
- やっていることが軍備増強ではなくて、むしろ暗殺することで戦争に突入してしまったら即すぐに負ける可能性がある
上記の通り、これまでたまった鬱憤(エネルギー)が爆発している状態。
この時の晋作は自分がやっていることを「狂挙」と呼び吉田松陰のようになっている。
「諸君、狂いたまえ!」
自分で狂っているということを言っているので、おそらく”狂いたかった”のだろう。
つまり”狂っている”というよりは”狂いたい”と思い「狂挙」と呼んで無理やり行動を起こしている状態なわけです。
幕府・朝廷・長州藩の全体構図
✔図解、この頃の幕府について
まず初めに、この頃の「幕府・朝廷・藩」それぞれの関係性(全体の勢力構図)を簡単に図解にしたので確認しましょう。
✔困り果てる幕府
この頃の幕府の状況について
【結論】幕府の権力が落ちて、朝廷の権力が上がっている状態
(※この時点では数百年間起きたことのないような状態、出来事だった)
具体的には下記の通り
- l幕府は朝廷から開国を許してもらえていない
- 幕府(将軍)が朝廷(天皇)にお願いに行っているが全然聞いてくれない
- ついに将軍が朝廷側の意見にあらがえなくなっていく
久坂 玄瑞たちの動きもあり、当時の朝廷のバックには薩摩もついていた。
上記のような中で、朝廷は幕府に条約の破棄を求めます。
開国しているやつをやめて、外国人を追い出すということをしなさい(=つまり、攘夷を実行しなさい!)
上記の通り、幕府は困り果ててしまうわけです。
- 将軍が仮病を使うなどして、あの手この手で時期を遅らせようと頑張る
- しかし「●月●日までには必ず攘夷をしなさい」ということが決まってしまう
- できないけれど、約束させられる
✔外国人暗殺を企てる晋作たち
既に述べた通り、幕府と朝廷の関係の中で長州藩はそれらを動かしている急先鋒なわけです。
つまり朝廷の人たちを動かして、上記のような状況の中で外国人の暗殺を企てているのが晋作たちということ。
ではなぜ晋作たちは暗殺を企てているのか
【結論】当時、攘夷の話をしている時に説得力を出すために必要だと思ったから
ひどい話ではありますが、当時の人たちはそう思っていた。
俺たち「攘夷攘夷って言ってるけれど、まだ外国人を倒してないよな」
「1人くらい倒してこそ、こいつら(俺ら)は攘夷をちゃんとやってくれる人、真剣に考えていると言えるんじゃねぇの」
ひどい話ですが事実なので補足しておくと、上記のように攘夷に説得力を持たせようと思いに至る背景の1つに「薩摩の生麦事件」というのがある。
- 日本文化では「大名行列を横切ってはならない」というのがあった。
- しかしイギリス人がそれを横切ってしまい、薩摩藩がそれをいきなり切り倒してしまった。
要は薩摩藩の人が既に外国人を倒してしまっているので、長州藩の人からすると「薩摩藩に負けてはいけない」「自分たちも1人くらいはヤッとかないと」という思いがあったわけです。
✔ネジの外れた迷惑テロリスト
上記で述べたように、晋作たちは暗殺を企てそれに賛同した人たちを集めます。(※このメンバーの中には”久坂 玄瑞”などがいる)
そして、外国人の公使が横浜の金沢という所へピクニックへ出かけるという話を聞いた彼らはそこで実行しようと計画します。
しかし、下記の通りピクニックでの暗殺計画は失敗します。
俺らが今育てているエリートたちがめちゃくちゃやべぇことしてるじゃんΣ(゚Д゚)
さすがにそれを実行されると、立場的にも本当に困ってしまうからマジで勘弁してほしい。
上記の通り、長州藩は驚き藩主の息子がそれを泣いて止めるわけです。
【結果】殿様の息子という特別な存在の人が泣いて止めているのでみんな感動してしまいます。
しかし、この時の晋作はぶっ壊れていた。
- 1人、全く動じなかった。
- 謹慎を命じられたにも関わらず、反省するどころか初志貫徹を誓うための血盟書を作成
- 仲間全員に血を使ってサインさせ、今度は”英国大使館焼き討ちの計画”を立てる。(※この中には伊藤博文などもいた)
そして、上記の計画を成功させます。
夜中に火を放って燃やし、本当に英国公使館を焼き払います。
✔板挟みで困る幕府
上記の通り、ネジがはずれた晋作の行動はめちゃくちゃで端的に言って社会からすれば迷惑なテロリストなわけです。
そして、その責任を取らされるのが幕府でした。
具体的には下記の通り。
- 犯人がずっと分からなかった(分ったとしても言えなかった可能性もある)幕府側が尻拭いしないといけない
- 一応みんなを取りまとめているのが幕府だと言われているので「リーダーであるお前が責任とれよ」と言われるわけです。
おいおい、なに燃やしてくれてんだよ!
上記の通り、幕府(徳川家)がイギリスに詰められるわけです。
そしてこの時、実は自分がまとめている誰かがやったというのは分かっていた(薄々、長州藩の人が犯人であると気づいいていた)
しかし当時の長州藩はすごく力をもっていたのでそれに遠慮したなど、色々な説があります。
- 板挟み状態で何が起きても幕府(自分)のせいなのに、自分は色々なところからガヤガヤ言われて何もできない
- 燃やされた英国の公使館の建築費用なども幕府がお支払い(金がとられていく)
- 久坂 玄瑞たちがどんどん過激化し、藩主も巻き込んで朝廷を通じて、幕府に圧力をかけ始める。
✔逆転!変わる風向き
ここまで見てきたように、幕府が弱ってきたことで攘夷がどんどん前へ出て来るような風向きへと流れが変わってきました。
例えば下記の通り、簡単に表にしてみたのでご確認下さい。
Before(ビフォー) | After(アフター) |
安政の大獄で吉田松陰など攘夷派の人たちが処刑された。(#92参照) | 安政の大獄で亡くなった人たちに大赦令が出される(=許される) |
罪人として処刑されてその辺に埋められていた吉田松陰 | 改葬が許され晋作たちが墓から掘り出し、遺体を綺麗に洗って別の場所へと移される。 |
吉田松陰は戦犯(罪人)のように扱われ、兄なども官職を全部取り上げられていた。 | 許されて名誉回復。むしろ神格化され攘夷のシンボルとして扱われるようになる。 |
✔振り返り、まとめ
この後目まぐるしく変転してややこしくなるのでここまでの流れ(構図)を簡単にまとめました。
下記の通り、理解しておきましょう。
幕府側はどんどん権力が落ちながら、朝廷に伺っても許して(許可が)貰えず攘夷のリミット(期限)が決められて困っているという状況。この状況で朝廷の裏には長州藩(薩摩藩)がいるという構図
ちなみにこの後、何が起きるかというと薩摩と長州の権力闘争に入っていくというわけです。(#95参照)
晋作について、1言では説明できない人間味
✔晋作10年の暇
既に上記で述べたような構図(流れ)の中で、晋作は藩から朝廷との交渉役を任されます。
しかし、晋作はこれを辞退し10年の暇を乞います。
交渉役はしません。そして10年間休ませてください。
お気づきの方もいるだろうが、上記の通り突然10年の休みを望む晋作の行動は吉田松陰とのやり取りから来ています。(※#92参照)
こうして10年の暇を許された晋作は頭を丸めて僧形(坊主)となる。
✔半冷半熱の1匹狼
坊主になったとはいえ、幕府との対決をするつもりではいる晋作。
この時の彼は誰かと共謀(結託)したり一緒に何かをするということをしない。どこか距離感をとっている。
つまり、少しすねているというか冷めているような雰囲気があるわけです。
例えば下記の通り。
冷 | 熱 |
|
|
上記のように、この時の晋作からは割り切ったような爽やかさがあり。
すごく内なる心が熱く燃えてるようにも思える一方ですごく冷めて客観視しているようにも見えるわけです。
「冷めてる自分と燃えてる自分」というとても不思議で1言では簡単には説明できない人間味をこの時の晋作から感じ取ることができるのではないだろうか。
#95 一夜にして長州転落!そして奇兵隊爆誕(約23分)
- 長州藩は独自に攘夷運動を断行したが、列強艦隊の報復にあい逆にボコボコにされる。
- 長州藩のピンチに際して高杉晋作に白羽の矢が立ち、奇兵隊と言われるゲリラ部隊が結成される。
- 晋作は昇進し政治の中枢にいくが、エリートである立場と自身の本心の違いに苦悩し、誰にも理解されない中でもがいている。
- 全てを失い囚人にまで落ちた晋作は師である吉田松陰と同じ野山獄で、徹底的に自己と向き合い原点回帰する。
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長州藩は四面楚歌の状態に陥ってしまい、高杉晋作は牢獄の中へ。一気に状況が悪くなる大ピンチのエピソード#になります。
長州の攘夷断交
✔迫る期限、ついに攘夷実行
長州藩は四面楚歌の状態に陥ってしまい、高杉晋作は牢獄の中へ。一気に状況が悪くなる大ピンチのエピソード#になります。
長州の攘夷断交
高杉晋作は10年の休暇を申請して許可が出たので頭を丸めて政治の舞台から身を引きました。
しかし、その間も当然ですが日本の政局自体は目まぐるしく変転しています。
どういうことかというと、将軍が朝廷に「この日までに攘夷します」という期限が迫ってくるわけです(#94参照)
【結論】上記に対して幕府は”何もしなかった”。しかし、”長州藩は攘夷断行した”
具体的には下記の通り
長州が港に来ている外国船艦隊を砲撃する。これにより戦争が起きるわけですが”全て幕府のせいにされます”
もう少し詳しく主な流れを解説していくので下記をご覧ください。
✔時代遅れの軍隊VS近代兵器。ボコボコにされる日本
- 久坂 玄瑞などが政治工作しつつ”外国船を砲撃”
- 商船など軍艦でさえないアメリカの船をいきなり砲撃する
- とりあえず外国船を見かけたら方砲撃
- フランス艦を砲撃する
- オランダ艦を砲撃する
上記の通り全方位に対していけいけどんどんなわけですが、当然ですが報復されます。
- アメリカ軍艦が報復に来る
- アメリカのが圧倒的に強いので砲台がボコボコに破壊されて味方の船も全て撃沈していく
- さらにフランスの軍艦も着て、フランス兵200人が上陸し農家を焼き払う
【結果】上記に対して日本は甲冑とほら貝で戦う。
まさに”時代遅れの軍隊VS近代兵器”の状況で負けます。
そしてやっと「これでは全く太刀打ちできないこと」がわかってしまうわけです。
久坂 玄瑞たちも無能ではないので西洋が進んでいることは知っていた。
とはいえ地の利を生かしたり状況を考え工夫すれば戦略次第で勝てると思っていました。しかし、結果は惨敗だったわけです。
(※上記の認識については#93後半の留学経験のあたりでも感じることができます)
上記の通り、勝てると思っていた戦いで普通に負けて困った藩は晋作を呼び戻します。
こうして10年の暇を貰ったはずの晋作はたったの3か月で戻ってくることとなりました。
騎兵隊爆誕
✔晋作に策あり「騎兵隊を作ろう」
よしっ分かった。俺に策があるから下関のことはまかせてくれ。
有志の兵を集めて兵隊を作る・
そしてこれを「奇兵隊」と名付けます。
この流れで出て来るのが「奇兵隊」でした。
つまり「ゲリラ部隊(テロリストスト集団」を作ると言っているわけです。
- 物事には”正”と”奇”というモノがあり、”正”の反対語として”奇”というものを使う。
- つまり、”正兵”がいるとしたら神出鬼没の”奇兵”が存在するわけです。
- この神出鬼没の奇兵(ゲリラ部隊)を作りましょう。
✔合理的な軍事増強
晋作の提案する「奇兵隊」案は、純粋に軍事増強にフォーカスした合理的な考えからきています。
具体的には下記の通り。
- 今回の戦争で負けた時に武士は人口の約10%程度しかいない
- この10%しかいない武士というのは本来ならば国を守ることができるので偉い立場にある
- しかし、今回の戦いでその偉い立場にいる人たち(武士)が負けて逃げ出す者もいた。
上記の状況を見て
- 現実的に考えて武士だけで戦うのは難しい/li>
- つまり色々な人の力を借りないといけない
- 色々な人の力を借りるなら、階級身分は関係ない方が都合が良い
つまり、上記の通り”階級身分に関係なく兵を集めて、その力を使って戦わないと勝ち目はない”という、純粋に軍事力増強にフォーカスした合理的な考えから「奇兵隊を作る」という案が出て来るわけです。
(※ちなみに奇兵隊は単純に機能として必要であるというは話であり、晋作の中に階級的な考え方が無いという意味ではない)
つまり、農民を侍と身分が同じ平等であるとは思っていないわけです。
胸の内では「このっ農民どもが!!」くらいに感じているわけです。
✔長州ファイブ
上記では晋作の考え方について触れました。
では長州はどのように考えていたのかというと下記の通りです。
- 長州はただの攘夷論ではなくて攘夷開国なので「基本的には国交を結びたい」と思っている。
- しかし、今のような虐げられた形で条約を結んでいることに対しては断固反対しなければならない。
なので、戦争しながらも伊藤博文や井上馨などをロンドン留学へ送りこんでいます。
当時、幕府はそれを認めていないので”密留学”で送り込んでいました。
ちなみに、これは『長州ファイブ』という映画にもなっているので興味ある人はこちらをどうぞ。
✔ついに騎兵隊結成!しかし空回り
上記の流れを経て(民衆・商人・エンジェル投資家・お金持ち)身分を問わず集めた力量重視の軍隊「奇兵隊」がついに結成されます。
- 奇兵隊とは別に正規軍がいますが、彼らを無理やり奇兵隊へは入れません。
- ただし、正規軍から奇兵隊へ入りたいと願う者は入っても良いこととします。
- 武器の指定はしません。それぞれに得意な武器で戦って下さい。
また奇兵隊結成の流れの中で民衆にナショナリズムが芽生えてきていた。
要は「俺たちって何だ?」という国の感覚が出てきたわけです。
- これまでの”侍と自分たち”という考え方から、イギリス・アメリカという第三者から攻撃に対して”みんな(日本)で一緒に”へとなっている。
- 身を守る為には任せてられない。自分たちが頑張らなければいけないよね
- 既に村なども焼かれている。このままやられるよりは、やりに行ったほうがましだ。
上記のように、ナショナリズムの芽生えた民衆などが奇兵隊に志願して実際に集まり壊された砲台を再建するなど敵からの来襲に備えました。
【結果】備えたけれど攻めて来なかったので、奇兵隊は結成されたあとしばらくやることが無かった。
つまり空回りに終わったわけです。
- アメリカ・イギリスを攻撃。報復でボコボコにされて四面楚歌の大ピンチに陥る。
- 晋作は10年の休みを貰ったが、3か月で戻ってきて奇兵隊を作った。
- しかしその後、攻めてきてくれなかったのでやることがなかった。
長州転落!晋作の苦悩「立場と本心」
上記で述べてきたような「VS海外」の流れともう1つ「八月の政変」という大きな出来事が京都で起こります。
下記にて詳しく見ていきましょう。
✔尊敬と嫌悪。皮肉で切ない関係性
これまでは、長州が日本の攘夷論をリードし公家を動かして幕府に圧をかけて政治を動かしてきた。(勢力関係については#94参照)
しかしこの時、孝明天皇は長州のことが嫌いだった。
つまり、長州藩の人たちは尊王攘夷なので天皇のことをめちゃくちゃ尊敬しているけれど、天皇からは嫌われている切ない関係があるわけです。
倒幕だー!押せ押せどんどん。
調子に乗って、公家を動かして偽の命令書(勅使)を勝手に出したりしたことが天皇にバレた。
✔VS薩摩。朝敵認定と長州の排斥
上記のように、過激な長州が嫌いな天皇に薩摩藩が忍び寄ります。
理由は下記の通り。
- 薩摩藩としては長州がイケイケどんどん過ぎて自分たち(薩摩藩)の立場が危ないと思っている。
- 自分たち(薩摩藩)がリードしないとけないので、長州を京都から排除して1度落としたい。
【結果】薩摩藩と天皇が結んで長州の排斥(京都から排除)に成功します。
具体的には下記の通り。
- これまで長州は活躍してきたけれど、とつぜん京都から追い出されていく
- 三条実実など尊王攘夷派の7人の公家などが追放される。(※七卿落ち言われている出来事)
- つまり長州はとつぜん1夜にして京都での基盤を失うわけです。
京都での基盤を失った長州は、その後さらに朝敵認定されます。
つまり「天皇の敵だ」と言われるわけです。
✔ヤバさマシマシ、スーパー過激派政権の誕生
これまで長州藩内では尊王攘夷派が幅をきかせていたが、上記で述べてきたように七卿落ちによる突然の追放で尊王攘夷派の力が弱まりました。
【結果】もともとの俗人派(穏健派)の人たちが出てきて政治を支配することとなる。
そしてここで、晋作が活躍します。具体的には下記の通り。
- エリートだった晋作は偉い人たちと対等にしゃべれる関係や繋がりをもっていた。
- わずか10日間で俗人派の人たちを追い出し再び尊王攘夷派に塗り替えることに成功。
- 奇兵隊総督だった晋作は政務座役というポジションに昇進し、政治の中枢へ入ることになる。
上記の通り、晋作によってがちがちの過激派政権が誕生(復活)する。
つまり、これまでも過激派だったのにその反対派の勢力を完全解除してしまったためにより激しいスーパー過激派政権が誕生してしまったわけです。
✔ポジションに応じた晋作の合理的な判断
とはいえ下記の通り、まだ問題は何も解決していない。
- 長州は追放されたまま
- 朝敵認定されている
上記のまだ解決していない問題に対し長州(がちがちの過激派政権)は、天皇ではなく薩摩藩に対して怒りを向けている状態です。
全ては薩摩藩のせいだ!俺たちが尊敬する天皇は悪くない。悪いのは全部薩摩だ!
京都まで攻め上がろう!ヽ(`Д´)ノ
天皇をたぶらかしている奴らを全員たおすぞ!ε=ε=ε=(怒゚Д゚)ノ オオー!!!
本当に朝敵になってしまうし、それはマジでヤバイからちょっと一旦落ち着け。
勝機があるなら行って良いけど、無いのに行ったらダメだろ。
上記の通り、晋作は自身のポジションに応じて冷静に合理的な判断をし始めるわけです。
いやっ、お前(晋作)が今まで1番過激なこと言ってたのに出世してからいきなり何言ってんの?
【結果】上記の通り、晋作は両方から責められエリートゆえの悩みを抱えることになる。
具体的には下記の通り
- 晋作はエリート出身だったので若いながらにして出世してしまった。
- まだ若いのでスキル・度量・人徳など足りないものが多く周囲の人たちを納得させられない。
上記の通り、晋作はじぶんがめちゃくちゃ頑張っているのに周囲の人たちは全然納得してくれず話を聞いて貰えない。
加えて両方からああだこだと心にもないことを言われ、ついに晋作は逆ギレします。
お前たちが言っていることは上っ面だよね。本当にちゃんと考えたらそんなことしねぇわ。(怒)
✔晋作の苦悩「立場と本心」
上記で述べてきたように、晋作はエリートである立場と本心が常に違うという苦悩をかかえていました。
そして意見が割れている状態で落ち込んだ晋作は酒に溺れます。
酒に溺れて中岡慎太郎(土佐藩を脱藩、坂本龍馬と共に暗殺された人)と一緒に島津久光(薩摩藩の藩主)を暗殺しようとする。
要は「違う国の首相を暗殺しよう」というわけです。
つまり、既に述べているように晋作はエリートの立場としてみんなが京都へ攻めようとする過激行動を止めていたのに、結局は振り切れて暗殺しようとしているわけです。
とはいえ【結果】色々な人に説得されて暗殺(テロ)はあきらめます。
野山獄で原点回帰
苦悩を抱えながら誰にも理解されない中で自分なりに頑張る晋作でしたが、いきなり野山獄に投獄されることになります。
どういうことか、下記を見ていきましょう。
✔全てを失い囚人となる晋作
【結論】晋作は仲間を説得するために駆け回り持ち場を離れたが、仕事を放棄したと思われて投獄されてしまう。
過激派の久坂 玄瑞たちと合流しに行ったぞあいつ(※実際には勘違い)
「お前(晋作)はしかるべき役職にいながら何しとるんじゃ」
これまで家が持っていた石高やこれまでに得た地位・殿様からもらった服など全てを没収する。
上記のような感じで、晋作は突然ジェットコースターのように全てを失い0になります。
つまり、かつてエリートとして上海視察まで行き政務座役までいった晋作は全てを失い囚人になってしまったわけです。
✔徹底的に己と向き合う
この時、晋作が投獄された所は皮肉にも野山獄(かつて松陰が投獄されていた所)でした。
「先生を慕うてようやく野山獄」(※松陰を慕ってようやく野山獄まで来たよ。という皮肉な歌)
上記のような状況に陥った晋作は精神を保つのが限界に達して”読書”と”詩作”にふけます。
つまりこの時期に”徹底的に自己と向き合う”わけです。
- プライドも高く死にたいと思ったこともある。けれど生きて何かしてから死んでやる。と思った。
- 獄に入れられ自分なりに色々と考えた結果、死にたいと思ったと同時に、国を思う気心というのは変わらないことが分かった。だから頑張ろうと思う。
当時は政治的に常に揺らいでおり、(尊王攘夷派・俗人派)どちらに振れてもおかしくないような状態でした。
ちなみにこの時、周布正之助(政府の重鎮で晋作を目にかけてくれている人)が晋作を激励してくれますが、これにより失脚謹慎します。
つまり、萩の中で藩論が俗論派になっており激励するだけで失脚させられるほど晋作はひどい立場にあったことがわかるわけです。
上記のように政治的な揺らぎの大きなこの時期、晋作は兄に頼まれて自身の最大の理解者であった松陰の書き残したものを編纂(文をまとめる)をしている。
つまり、松陰を通じて自己とすごく向き合っているわけです。
- 同じ獄に入れられた松陰の気持ちを考えたり、過去の交流や出来事を思い返して精神状態を保っている状態
- 時々泣き出したり、静かになったりしている
またこの時の日記があり、これまでのプライドだらけの晋作とは違う書きっぷりで記されている。
そして彼の中で”自己とずっと向き合い””悔しさ”もあったことが理解できるわけです。
具体的には下記の通り
- 自分はすごく国のためを考えて動いているのに誰にも理解してもらえず悔しい。
- 誰にも理解されず、なぜこのようなことが起こるのか考えている。
- しかしじゃあどうすればいいのか。分からない。
上記のようなことについて、ある日突然7000字ほどの長文で書いている。
そして最後にはこう記されている「これは仮にここで死んだとしても後世の人に自分は本当はこういうことを考えていたんだ。ということを分かって欲しいという思いで書いた」
✔蘇る松陰魂と父の愛情
上記で述べたように、7000字にも及ぶ日記を突然書き記し死をも覚悟していた晋作でしたが
【結果】偉い役職にいる父が頑張り、晋作は自宅の座敷牢に移ることとなります。
晋作に厳しく封建的な人物だったが、一人息子の晋作のことを愛情深く見ていた
一人息子の晋作に対して父親として色々と思うところはあったかもしれませんが、
その後、迷惑がかからないように晋作は”高杉”の籍をはずして”谷”という苗字に変えます。
✔状況は最悪、大ピンチ!
ここまで述べてきたように、投獄されてからの晋作は徹底的に自己と向き合い”昔の松陰先生”や”父親”へと帰っているかのような感覚がある事が分かっていただけたかと思う。
最後に、ここまでの流れと現状について振り返り簡単にまとめて#95を終わります。
- 上海へ行ってインプットして暴発したが結局はうまくういかない。
- 奇兵隊を作ったがこれも結果はやることが無くてうまくいかなかった。
- 政府の中核まで昇り詰めるが失敗して、最底辺の囚人にまで落ちる。
- 囚人になり色々と考える時、彼の精神を支えたのは吉田松陰の言葉だった。
- 野山獄で昔を思い返し、徹底的に自己と向き合い”原点回帰”する
- 長州の状況は最悪。朝敵認定されて幕府から征長軍(長州を討つための軍隊)が派遣される。
- 同時期にアメリカやイギリスが再びやってきてしまうのでまさに”四面楚歌”
- いけいけどんどんで京都政界を動かしていた長州だったが、全員から全方位から攻められて絶対絶命の状態
- この最悪で大ピンチの状況で、晋作は牢獄の中にいる
#96 長州オワタ\(^o^)/そして、その時歴史が動いた(約23分)
- 池田屋事件を機に歯止めが効かなくなる進発派。久坂玄瑞など長州の人材が亡くなっていくが、晋作は野山獄にいたので生き残る。
- 禁門の変の敗戦から、再び晋作に白羽の矢が立ち囚人から重臣まで一気に昇進。晋作は藩の代表として4ヶ国連合艦隊との敗戦交渉を担い、幕府に責任をなすりつけた。
- 長州藩で再び実権を握った幕府恭順派に対して、晋作はたった1人でクーデターを決行。藩論を倒幕へ傾けさせることに成功する。
- 全員が諦め客観的にも絶望的状況の中で、晋作が1人決起し成功させている歴史的事実に勇気を貰えるかも。
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特別な力も無く葛藤を抱えた青年武士だった”高杉晋作”がついに歴史に残るアクションを起こしていくエピソード#になります。
客観的にも絶望的な状況の中で誰もが諦めていた時、ただ1人あきらめずに決起し成功させた晋作の行動と歴史的な事実を認識することは、これから何かを成し遂げるあなたに”勇気”を与えてくれるのではないだろうか。
薩摩・4ヶ国連合との闘い
既に述べてきたように長州が四面楚歌の状態に陥ってしまった中で晋作は牢獄にいる。
そして長州には京都に攻め上ってやろうという人たちがたくさんいて、彼らがメインで国を動かしている状態です。(#95参照)
この時「池田屋事件」が起きて、京都に攻め上ろうとする(進発派)が止まらなくなってしまいます。
どういうことか、具体的には下記の通り。
✔池田屋事件、歯止めが利かない進発派
- 新選組(幕府の下位組織)が尊王攘夷志士たちが集まっている池田屋という所へ討ち入りしてたくさんの人が亡くなるという出来事(松陰の弟子や友人なども倒されている)
一時的に幕府は誰のいう事も聞いてくれないところまで落ちていた。(#94参照)
その幕府(新選組)が強硬手段に出るようになったのか。
上記の通り、池田屋事件を機に京都へ攻め上がろうとする(進発派)人たちを止められなくなってしまうわけです。
こうして晋作は止めていた(#95参照)けれど、京都まで攻め上がってしまい長州は薩摩会津と戦うことになるわけです。
(※この京都での戦いを「禁門の変」という)
- 兵力差があり負ける
- 久坂玄瑞が自殺していなくなる。
- 桂小五郎は逃走していなくなる。
- 晋作は野山獄にいたので生き残った。
上記の通り長州は「禁門の変」で負けるともに、どんどん絶望的な状況へと陥っていきます。
具体的には下記の通り。
- 京都へ攻め上がったことで朝敵認定されてしまい朝廷経由の命令で幕府からの征長軍が出て来る
- 禁門の変で薩摩会津に負ける
- 京都での敗北とほぼ同時期にイギリス・フランス・アメリカ・オランダの4か国連合艦隊が下関攻撃に向かっているとの報告が入る
奇兵隊が作られて約1年後、上記の通り大ピンチの長州は慌ててロンドン留学組(いとうひろぶみたち)を呼び戻す。
「祖国の危機だ!帰らなくては」(現地で新聞を読んで知る)
上記の通り、この時点ではまだ長州は応戦しようとしているわけです。
とはいえ、客観的にも絶望的に危機的な状況に立たされ弱気になった長州(萩の中)では今後について激論が行われる。
【長州の現状】禁門の変で負けて、さらに4か国艦隊には当然のように勝てない。負け続きの中で今度は征長軍が来ている。
- 諦めずにまだ戦うのか?
- 自ら負けを認めており愛を付けるのか?
さぁどうする!
上記の通り、危機に立たされた藩の中で激論が戦わされた結果。
藩政府は晋作に頼らざるを得なくなる。
【結果】晋作に白羽の矢が立ち、獄中の囚人から一気に重臣まで再び昇格するわけです。
ピンチをチャンスに”敗戦交渉”
昇進した晋作が1番最初に行ったのが「敗戦交渉」でした。
これは4か国連合艦隊に負けたので講和条約をしなくてはいけない。
つまり、負けたけれどどういう負け方にするのかを決めなくてはいけないというわけです。
✔300万ドルの賠償金
交渉は3回程度行われるのですが、ポイントとしなるのは「賠償金」でした。
晋作たち(長州)は300万ドルの賠償金を課せられます。
これに対し、長州はまず幕府に支払いをなすりつけます。
具体的には下記の通り。
- 俺ら(長州)は賠償金を払いません。賠償金は幕府が払うべきだ!
- なぜなら、幕府の将軍は攘夷決行を朝廷に約束したからである。
- その攘夷決行の日が来たから俺たち(長州)は守っただけです。
- 守っただけなのにどうして俺たち(長州)が攻められないといけないんだ!
- 約束した将軍(幕府)にちゃんと請求して下さい。
上記の通り、晋作の言ったことに反論できない幕府は本当に賠償金を支払わなくてはいけなくなります。
また、晋作は賠償金の請求を幕府になすりつけるためイギリスのと交渉でハッタリも利かせたりしている。
具体的には下記の通り、
「この長州藩には主君のために命を投げ出せる奴らがあと何人もいるぞ」(だから俺らとこれ以上やりあうとめんどくさいぞ)
※つまり幕府に言った方が楽だよ。と示唆しているわけです。
ニュアンスとしては、もし仮に300万ドルを長州に支払わせるなら「自分たちを独立国として認める」のではないか。という思いもあったかもしれない。
とはいえ、これらにより【結果】イギリスは長州を交渉するに足る国だと認めてくれて長州とイギリスは仲良くなる。
その後、長州はイギリスから武器を買って近代兵器を一気に導入することで征長軍を追い返したり抵抗します。
✔再び実権を握る幕府恭順派
ここまで述べてきたように敗戦交渉でうまくピンチをチャンスに展開化した晋作たち。
とはいえ、まだ危機的状況は変わりません。
- まだ征長軍(敵)が来ている
- 朝敵になってしまっているので、基本的には朝廷の役職を持つ藩主はその役職を奪われます
上記の通り、征長軍をどうにかしないといけない。
この時に政治が揺れ動き”幕府に対して恭順な態度を取ろうとする派閥”が大きくなってきてしまう。
具体的には下記の通り。
- がちがちの過激派(#95参照)のせいで朝敵認定されて征長軍までくるような危機的状況になったんだ。
- 征長軍が来たら負けてしまうかもしれない。負けたら滅びるかも。
- 滅びるわけにはいかないので、幕府に対して恭順な態度を取ろう
上記の通り幕府恭順派からすれば、晋作たちは攘夷派として見られているので粛清し排除すべき対象でした。
- 周布正之助は自殺
- 井上薫は刺客に襲撃され瀕死の受賞を負う
- 晋作も任を解かれ逃亡する。
おそらく処刑されていたであろう晋作でしたが、プライドの高い彼がここで”逃げる”という選択ができたのは師である吉田松陰の言葉があったからだろう。
「ただ生きて大業の見込みあらばいつまでもも生くべし」(生きてその後の人生で大きなことをする可能性があるのならいつまでも生きろ。死にこだわるな!)#92参照
✔まさに絶望的状況
逃亡している晋作は九州へ向かいます。
そして佐賀藩や福岡藩の藩主に軍事的支援を持ちかける。
しかし【結果】普通に断られてしまいます。
上記の通り、逃亡先でも晋作はあきらめずに何とかしようとしている一方で幕府への恭順は進んでいた。
具体的には下記の通り。
- 幕府に謝罪するため、故郷では晋作のそばにいた政治家たちがどんどん処刑される。(※長州藩ではなく、「こいつらが勝手にやりました」という”示し”)
- 藩主の親子が謝罪文を書いて出したりしている。
- 山口城を破壊するよう言われたりしている(※城の破壊は最大の屈辱だったりします)
仮に、ここでもし長州が幕府に恭順していたら明治維新がどうなっていたかわかりません。
とはいえ、上記のような絶望的な状況をひっくり返したのが高杉晋作でした。
たった1人でクーデターを決行
ここまで述べてきたように絶望的な状況をひっくり返した高杉晋作。
では具体的に彼は何をどうしたのか?
【結論】たった1人でクーデターを起こします。
✔誰もが諦めた時、彼はただ1人決起しアクションを起こした
実はクーデターを起こしたのは奇兵隊では無く、最初は晋作1人で起こしている。
(※晋作は奇兵隊を作ったけれど、彼自身はあまりそれを動かしていない)
そして、彼がまず行ったのは「逃亡して仲間を集めます」
しかし、当然ですが誰も賛同してくれませんでした。
なぜなら下記の通り、「誰がどう見ても長州はもう終わっている国だから」
- 日本で天皇の敵と認定されたら既にダメ
- 幕府からも攻められている
- 雄藩である薩摩とも仲が悪い
- アメリやイギリスとの戦争に負けている
上記の通り、もう本当にどうしようもない国に怖くて誰も味方しないわけです。
しかし、晋作は1人決起しここからでも何とか状況を打開しようと色々な人たちを説得しにいきます。
✔後に総理大臣になる男伊藤博文
上記で述べたように誰も晋作の話を聞いてくれない中で、ただ1人賛同してくれた人がいた。
それが後に総理大臣になる男”伊藤博文”でした。
ではなぜ彼が賛同してくれたのか、想像ですがおそらく下記の気持ちがあったのではなだろうか。
- 晋作について行く時点で実は”もうダメだ死んだ”ある種の投げやりなあきらめの気持ち
- 晋作と仲が良くて断りきれなかったにで、覚悟を決めた。
理由はともあれ、唯一伊藤博文の賛同を得た晋作は、彼の持つ力士体(80人)も味方につけることができました。
(※力士隊が本当の力士だったかどうかはまた別のお話)
とはいえ、この時の敵(長州藩)は2000人の兵を持っており全然レベルが違うわけです。
しかし、晋作は【力士隊(80人)VS長州藩(2000人)】でクーデターを起こし、これを成功させてしまいます。
まさに晋作の人生のクライマックス、
どうやって絶望的状況の中80人で2000人規模の相手にクーデターを起こし成功させることができたのか、
下記から順を追って解説していきます。読み進めていきましょう。
まさに人生のクライマックス(クーデター成功への道のり)
✔これより九州男児の腕前お目にかけもうすべし!!
先行きが見えない中で晋作は、九州に逃げ排斥された7人の公家(#95七卿落ち参照)の所へいきます。
「これよりは長州男児の腕前おめにかけ申すべし!」(これから吸収男児の腕前を見せてやるからみとけ!」
つまり、尊王攘夷派である公家(晋作と同じ考え方の人たち)に向かって「今超絶絶望的な状況だけど俺が何とかしてやるから見とけ」と啖呵をきったわけです。
- 力士隊と共に下関の藩の施設を襲撃
- 1番最初にしたことは軍艦の奪取
- 「軍艦さえあれば何とかなる!」守りの薄い軍艦を取りに行って成功
- 奪取したその軍艦でクーデターを起こして成功させた。
✔【自己紹介】2つのアイデンティティ(identity)
結果としてクーデターは成功していますが、この時の晋作も当然ですが死を覚悟しているので遺書を書いていた。
そして遺書の中には自己紹介のようなことが書き記されており「毛利家温故の臣」「奇兵隊創設者」の2つの言葉が入っている。
- 「毛利家温故の臣」・・・封建社会的な表現
- 「奇兵隊創設者」・・・封建社会からは外れた表現
要は上記2つの矛盾したモノを持っているということ。
彼自身の中では全く矛盾していないわけですが、おそらくこの2つのアイデンティティを自分の中でうまく統合できたのだろうと思う。
✔1度は断った山縣 有朋の参戦
既に述べた事だが、実はクーデターを起こしたのは奇兵隊では無く最初は晋作1人で起こしている。
晋作は総督から外れているので奇兵隊にも決起を呼び掛けてはいたが、奇兵隊の大将である山縣 有朋に断られているわけです。
(【余談】山縣 有朋は後に陸軍の元帥になる人)
つまり、松下村塾にも行って兄貴分でもある晋作からの要請に対して、
しかし【結果】軍艦を奪取してドンドン攻め込む晋作たちを見て「勝機あり」と判断した瞬間から味方について参加します。
つまり、形成が移り変わっていくにつれて晋作にみんながついていくようになり規模が大きくなってきたわけです。
上記の通り、1度は断った山縣 有朋が参加してきた時、
(本気で思っていたのか、やはりイラつく気持ちを抑えながら詠んだのか)晋作は直接言わずにおしゃれな歌で語ります。
「わしとお前は 焼山葛 うらは切れても 根は切れぬ」
(※植物が2つあってその上の方が燃えて無くなったとしても下の根で繋がっている。つまりお前は奇兵隊の決起に参加しないと1度は言っちゃったけれど、裏では心で僕たちは繋がっているからそんなことを俺は気にしないぜ)
✔クーデターの成功、長州は劇的な政権交代を果たした
そしてついに晋作たちはクーデターを成功させて藩主を担ぐところまでいきます。
つまり、もう誰が考えても明らかに絶望的状況で晋作たち(過激派)と反対側の意見を持つ俗論派と呼ばれる人たちが征長軍に対して恭順を示すために作った政権が入れ替わるわけです。
こうしてついに政権を打倒した晋作たちは幕府と朝廷を相手に戦う覚悟を決めて、表では引き続き幕府に恭順な姿勢を見せながら裏では「軍備増強」をする政策をします。
具体的には、幕府を無視して下関を開港しようとします。
イギリス側にそれの話を持ち掛けますが、イギリスはそれを渋り断られてしまう。
既にイギリスは幕府と条約を結んでいる。
「全て管轄しても良い」と幕府と約束しているので、「長州が勝手にすることは容認できない」
上記のとおり、ここでひともんちゃくあるわけですが詳しくは#97をご覧ください。
以上!
まさに時代が用意したヒーロー!?
劇的な政権交代を果たした長州。
そして、そのきっかけを作ったのが高杉晋作でした。
✔誰もが諦めた時、彼はただ1人決起しアクションを起こした
誰もが諦めた時に、晋作だけがアクションを起こした。
そしてまさに晋作のおかげで再び藩論が変わり統一されたわけです。
結果として成功しているとはいえ、彼らの行動は無計画でまさか成功するとは誰も思っていない。
しかし、晋作の持つエネルギーが他の人たちへちょっとずつ伝わった時「やっぱこっちに味方した方がいいのかも」と思わせ少しづつ仲間が増えていった。
【結果】これが日本史を変えていく。
- 突出した能力(スキル)は無い
- 戦略もない
- 勝てる算段も無いほぼ無計画な状態
- ただ、やると言ってやっただけ
上記のとおり、何か特別な力があるわけでは無く”成功した理由”を論理的に説明できる人は少ないだろう。
まさに”運”しかし、歴史を見ていくとこういった不思議なことが起こっているんだということを私たちは認識しておいた方が良いだろう。
✔勇気をくれた晋作と松陰の魂
#88~#96ここまでご覧頂ければ分かるように、常に葛藤を抱えた青年武士(晋作)は正直ここまで大したことは何もしていない。
特別な力(スキル)というのはあまり関係なく、色々な出来事が重なっただけに過ぎないだろう。
だがしかし、
上記のようなことが無ければ何も始まらず終わっていただろう。
まさに日本史を買えるような出来事。そのきかっけを作ったのが高杉晋作。
そんな彼の基になっていたのが吉田松陰。
彼の魂がそうさせていたのかもしれません。
#97 おもしろきことなき世をおもしろく-高杉晋作の最期(約24分)
- 色々な人たちの才能によって近代化が進められる時代。倒幕への藩論は一致した長州藩は敵同士だった薩摩藩と手を結び「薩長同盟」が実現する。
- 軍備増強、近代化を進めた長州藩は強く、幕府による長州征討軍の撃退に成功する。
- 戦争の体勢が定まったところ、結核を患っていた高杉晋作は戦線離脱し半年後に急逝した。
- 晋作の死後、たいせいほうかんが行われ明治維新になっていく。もし彼が生きていれば功労者としてすごく重要なポジションにいたのかもしれない。
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絶望的な状態からたった1人で始めたクーデターを見事に成功させた晋作のクライマックス。
果たしてその後はどうなってしまうのか、ついに最後のエピソード#になります。
進む近代化と軍備増強
✔色々な人たちの才能によって近代化が進められる時代
征長軍に備えて長州は”軍備増強”を進めます(※#93参照、元から晋作が考えてやりたかったこと)
そのために密貿易をしようとしますが、長州は朝敵なので誰とも貿易できない状態にさせられていました。(#96参照、イギリスに密貿易を直接言ったが断られている)
【結果】密貿易の計画が攘夷志士たちにバレてしまい命を狙われ始めた晋作は四国へ逃げます。
そして同時期に、桂小五郎が帰国し藩政改革していきます。
さらに同時期、ここでは詳しく述べないが大村 益次郎という人が軍を近代化していきます。
つまり、実は近代化が色々な人の才能によって晋作以外の人たちで進められていく時代だったわけです。
✔薩長同盟
そしてこの時、すごく重要なことが起こります。
【結論】めちゃくちゃ仲が悪かった薩摩と長州が手を結ぶ(薩長同盟)
理由については下記の通り
薩長同盟 | |
薩摩 | 長州 |
上記の通り、互いのメリットのため取引から少しづつ溝を埋めていく形で2つの反目しあっていた雄藩がついに手を結ぶことで倒幕へ到るわけです。
【余談】当然ですが薩長同盟も一筋縄ではいっていない。
桂小五郎と西郷隆盛がメインで進めていき、その間を取り持ったのが坂本龍馬でした。
✔近代化した長州は強かった
薩長同盟を結んだ後、
これにより長州藩は強くなっています。
上記に対して幕府が攻めてきました。
1回目のの征長軍を解散したけど、長州藩がまた怪しいことしてんぞ。
よしっ、もう1回いくか。
【結論】長州はこの2回目の戦いで征長軍を追い返すことに成功。つまり勝ちます。
理由は下記の通り
- 色々な所で戦線が発生
- 背水の陣の長州
- 征長軍(討伐軍)も長州を倒さなければいけない。とはいえ、幕府に言われて他の藩から来ている。
- 戦いに対するモチベーションが違う。
- モチベーションが高く、近代化した長州のが強かった。
上記の通り、1時は死にかけだった長州でいたが近代化した長州は強くて、幕府では倒せない状態になっていたため幕府の権威が落ちていきます。
✔戦場は九州の小倉
晋作にとって最後の戦場は小倉でした。
九州の小倉で戦っていましたが、途中で将軍の病死などによって討伐軍が1回引き返したりします。
しかし、戦場である小倉の人たちは仲間(討伐軍)が帰っても自分たちは戦い続けなければならない。
小倉は幕府側の人たちなので長州とは仲が悪く因縁があった。
【結果】ピンチで困った小倉は白を燃やして逃げる。要は晋作たち長州が優勢だったわけです。
晋作の最後~松陰に思いを馳せながら~
同時期に孝明天皇が崩御するなど色々なことが起りてんやわんやしており、上記の小倉城が落ちる時。
晋作が結核(病気)で血を吐いて戦線離脱することとなります。(※この頃に#88で触れている「おもしろきなき世をおもしろく」上の句を読んでいる)
✔結核による戦線離脱
ここまでの流れを簡単にまとめると下記の通り
- 危機的状況のところから政権を奪取
- 近代化させて征長軍が来たところを全方位で守る
- 将軍が亡くなるなど運が良いところもあったとはいえ、みごと征長軍を追い返した
- 良い流れだったが、結核(病気)で血を吐いて倒れ戦線離脱を離脱
戦線を離脱してそのまま療養しなくてはいけなくなった晋作。
上記の通り、実は彼はボロボロの状態で征長軍と戦っていたため戦線離脱後は早く半年に亡くなってしまう。
✔たられば人生~ifの世界線~
まるでドラマのような彼の人生。
劣勢だった長州が盛り返すところが歴史を変えたポイントであり、もしかすると彼の人生はこのためだけにあったのかもしれない。
そして彼が亡くなったその年に大政奉還が行われ、日本が明治維新になっていく。
下記の通り、もし長州が盛り返さなければやはり歴史は違う形になっていたのかもしれません。
そしてもし生きていれば彼は功労者として明治維新のすごく重要なポジションにいたはず。
- 明治維新が遅れたり
- 或いはそもそもできなくて、違う形になっていたかもしれない。
- 薩摩も長州ではなく幕府と一緒に何かやろうとしていたかもしれない。
- 天皇型にならなかったかもしれない。
「ずっと仕事をして活躍している感じではなく、大事な場面で自分がバンッと出てきてサッいなくなる」
これが彼の人生の特徴のように感じます。
そして最後、彼は松陰の墓の近くで療養しており死にかけながらずーーっと松陰の墓参りをするなど思いを馳せながら亡くなっていく。
以上!!シーズン14「高杉晋作」の一生でした。
✔おもしろきことなき世をおもしろく
「おもしろきことなき世をおもしろく」
#88で触れたこの話について、当初はすごく単純にポジティブな言葉として受け取った方も多いのでないだろうか。
事実、僕はそう認識していました。
しかし#97まで全10回を聞き終えた時、改めてこの句を見ると”一体どういう気持ちで読んだのか”深みがあり考えさせられる単純なモノではないと認識できただろう。
上記の通り、果たしてこの時どんな気持ちで詠んだのか。
単純にポジティブな意味ではないと思います。
- 悔しかったかもしれない
- 悲しさもあっただろう
- 「でも何かこれが人生なんじゃねぇの」みたいな受け入れようとする思いもあった。
- とはいえ、盛り返している良い流れからの戦線離脱に対して「これが人生おもしろねぇな」という気持ちだって何%かあったのではないだろうか。
✔魅力1/3繋がりが感じられる
坂本龍馬もそうですが、晋作は大政奉還まで見届けられずに亡くなっている。
この人たちが未熟ながらも燃え尽きていく、その上に僕たちの今の歴史や日本社会があるというのは繋がりを感じられて面白いところなのではないだろうか。
繋がりを感じられるという点ではアレクサンドロスとはまた違った感慨深さがある。
例えば、僕たちが日本人だからというのもあるかもしれませんが【シーズン11アレクサンドロス】が2000何百年前なのに対して【シーズン14高杉晋作】はまだ150年しかたっていない。
そのため、全10回(#88~#97)にわたって勉強していくと「もしここであの人がこうなっていたら…」というのでその後が大きく変わる可能性があるわけです。
(※日本という国がなくなっていたかもしれないし、形が変わっている可能性があるわけです)
- 高杉晋作が投獄されていなかったら亡くなっていたかもしれない
- もし1人で決起して「やる」とは言ったものの船の勉強の時のように「やっぱやーめたっ」と心変わりしていたら
- 晋作1人決起しても、伊藤博文が「しょうがねぇなぁ」と賛同してくれなかったら
- 山縣 有朋が断らずに「俺たちも行くわ」と言っていたらそれはそれでまた違ったかもしれない
上記の通り、歴史に限らず人間の社会や人生には半端なく多くのスイッチが存在している。
このものすごく細いトンネルを1個1個潜り抜けた先に今が来ているような感覚。
つまり、色々な道や条件が噛み合って今の状況に至っている「過去と今の繋がりや関係性」を感じた時
実はそれらをいちいち考えながら合理的に行動してもあまり面白くないし意味もないのではないかと思うようにもなる。
✔魅力2/3人間臭くて深みのある人生
結局のところ、高杉晋作の人生は”やりたいことをやっただけ”あまり合理的ではなかった。
彼がまともにエネルギーを爆発させることができたのは最後の最後クーデター以後であり、
彼の人生で言えば80~90%、27歳までずっと空回りしていた。
- 父の教えを守り「困った」と言っていないだけで、くすぶっている時期が長く苦悩している。
- ついに探し続けた自分の舞台を最後に見つけてその舞台上で亡くなる
アレクサンドロス含め高杉晋作に”くすぶっていた時期”があるからこそ、僕たちはそこに自分たちの人生を照らし合わせることができてより魅力的に感じるのではないだろうか。
彼らにもし”くすぶっていた時期”が無ければそれはそれで素晴らしい英雄譚ではあるけれど、何か物足りなさや単なる物語的に他人事として受け取ってしまい感情が揺さぶられることは無かっただろう。
- 彼らはままならないけれど頑張っただけであり、このままならない時期がある人がそれを克服しているわけでもない。だから人間としての深みを感じられる。
- これは自分たちの人生と照らし合わせても同じ。ままならないことがたくさんある中でそれを克服しようと頑張るのだけれど、果たしてそれができるのかどうかは分からない。じゃあ結果としてそれが克服できなかったとしてもだから駄目なのかと言ったらそんなわけないよね
✔魅力3/3あるべき自分とやりたい自分
高杉晋作は、世の中の常識や「こうすべき」「これが正しい」みたいなところに対しててことごとく反抗して生きている。
おそらく彼は「自分の気持ち」に従って行動しているわけです。
とはいえ彼も最初からそうではなかった。
あるべき自分とやりたい自分(※自分の気持ち・父親・松陰、の3軸)で揺れ動いている。
そして最後の最後でやりたい自分に振り切れたわけです。
- 政務座役など途中まであるべき自分でやっている時はずっと失敗している。(#95参照)
- 誰からも賛同を得られていないけれどクーデターを起こしている時はやりたいことをやっていて、あるべき自分ではない。
結局のところ、自分の頭・心・体が一致しているときに覚醒した感覚があり、
全く合理的ではないやりたいことをやった時に伊藤博文に賛同されている点は不思議で面白い。
もしかすると、それを見つけるためのクーデターだったのかもしれないという気さえしてくるわけです。
ちなみに、幕末という時代が面白く人気があるのは、自分が何者かを証明するために命を懸けているような時代
(高杉晋作・西郷隆盛・新選組など)1人1人が同じ時代で真剣に生きていて、そういう人たちがたくさんいて敵同士だったりするからなのかもしれない。
また明治維新についても、世界や社会をみんながそれぞれ違う思想を持って生かそうとした結果、そのエネルギーが変な融合を起こして外的から守り切った。
要は、小さな視点では1個1個が右へ左へ好き勝手に動きたいというけれど、大きな視点から見た時には全員が協力して何かを成し遂げたという感覚があり、客観的に見ても面白い出来事に思える。
✔合理的とは?~無意味な理不尽への批判~
- 明治維新が終わった後にそこで頑張った下級武士たちは全部リストラさます。つまり頑張ってたけれど報われない。
- 奇兵隊の人たちも軍事力がいrないということで反乱おこしてやられたりしています。
- これが明治政府になってからも色々なところで反乱がおこり、最終的には西郷隆盛の西南戦争で内戦が起って血みどろの戦いになる。
上記の通り、非合理なことや理不尽なことがたくさん起こる。
しかし、それを批判することに意味はない。
上記の通り、色々な意見があるわけです。
しかし、世界は理不尽でありその真実を見ていない感覚になってしまう。
つまり、「当たり前のことが当たり前のように目の前で起こっている」
それはそのファクトを積み上げていけばそうなるということを合理的にある程度説明しようとしたら社会学的にできる。
しかしそれを批判することに意味はない。
例えば下記と同じように、無駄に期待して美化して妄想を膨らませた結果が違ったときの落差に勝手に絶望しているように見えるわけです。
歴史を学ぶ際に偉人の汚い所を知って絶望するのも同じで、勝手に期待しないというのは大事なのかもしれない。
晋作たちはテロリストだ。だから駄目。
確かに、晋作はテロリストだった。
しかし、だからと言って駄目ではないしその意見に意味があるとは思えない。
つまり、合理という政界とはちがうと言っているだけであって合理が正解であるという基準すらないということ。
彼の人生を彼のように歩んでいてああなるのはそうだだろうという話であって、それを評価することが果たして僕たちの人生にとって意味があるのだろうかというお話。
おそらく意味はないだろうし、むしろしない方が良いのではないだろうかと思う。
✔晋作がくれた勇気
誰でも人生生きていく中でしんどい時というのが必ず1度はある。
他人からしてみればたいしたことではないように見えるかもしれないが”自分からしたら絶望だ”と思う時もあるだろう。
そんな時は高杉晋作を思い出してみよう。弱ったあなたにきっと勇気をくれるから。
「絶望かどうかは関係ない。絶望と思うかどうかが大事なのであって、それが本当に絶望なのかどうか実はあまり関係ない」
陽明学的な考え方になるけれど「そこはもう自分の心しだい」
最期に
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最期まで読んで頂きありがとうございます。
シーズン毎にテキストでまとめているので気になる方はコチラをどうぞ
♦シーズン1 吉田松陰♦
♦シーズン2 スパルタ♦
♦シーズン3 コミュニケーション史♦
♦シーズン4 天皇♦
♦シーズン5 キングダムSP 秦の始皇帝♦
♦シーズン6 諸葛孔明♦
♦シーズン7 世界三大宗教♦
♦シーズン8 ヒトラー♦
♦シーズン9 フランス革命♦
♦シーズン10 ガンディー♦
♦シーズン11 アレクサンドロス大王♦
♦シーズン12 お金♦
参考文献
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